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1856年

1856年

他の紀年法

  • 干支丙辰
  • 日本(天保暦
    • 安政2年11月24日 - 安政3年12月5日
    • 皇紀2516年
    • 咸豊6年
  • 朝鮮
  • * 檀紀4189年
  • 阮朝ベトナム
    • 嗣徳9年
  • 仏滅紀元:2398年~2399年
  • イスラム暦:1272年4月22日~1273年5月4日
  • ユダヤ暦:5616年4月23日~5617年4月4日
  • 修正ユリウス日(MJD):-1051~-686
  • リリウス日(LD):99790~100155
※皇紀は、太陽暦採用と共に1873年に施行された。
※檀紀は、大韓民国1948年9月25日に法的根拠を与えられたが、1961年年号廃止の法令を制定に伴い、1962年1月1日からは公式な場での使用禁止。

できごと

  • 10月8日 - アロー号事件が起こる。

誕生

  • 1月11日 - クリスティアン・シンディング作曲家(+ 1941年
  • 1月12日 - ジョン・シンガー・サージェント画家(+ 1925年
  • 2月14日 - フランク・ハリス、作家(+ 1931年
  • 3月15日安政3年2月9日) - 原敬、ジャーナリスト・外交官・農商務官僚・第19代内閣総理大臣(+ 1921年
  • 3月17日 - ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト(ナポレオン4世)、フランスの皇太子(+ 1879年
  • 3月20日 - フレデリック・テイラー技術者経営学者(+ 1915年
  • 3月20日 - ヨゼフ・ワーグナー軍楽隊長・作曲家(+ 1908年
  • 4月5日 - ブッカー・T・ワシントン教育者(+ 1915年)
  • 4月24日 - フィリップ・ペタンヴェルダンの英雄・フランスヴィシー政府首相(+ 1951年
  • 4月27日咸豊6年3月23日)- 同治帝、第10代皇帝(+ 1875年
  • 5月6日 - ジークムント・フロイト精神分析学創始者(+ 1939年
  • 5月6日 - ロバート・ピアリー探検家(+ 1920年
  • 5月15日 - ライマン・フランク・ボーム児童文学作家(+ 1919年
  • 6月14日 - アンドレイ・マルコフ数学者(+ 1922年
  • 7月10日 - ニコラ・テスラ、電気技師・発明家(+ 1943年
  • 7月26日 - ジョージ・バーナード・ショー、作家(+ 1950年
  • 8月3日 - アルフレッド・ディーキンオーストラリアの首相(+ 1919年
  • 9月16日 - ヴィルヘルム・フォン・グレーデン写真家(+ 1931年
  • 10月16日(安政3年9月18日)- 田中舘愛橘地球物理学者(+ 1952年
  • 11月13日 - ルイス・ブランダイス法律家(+ 1941年
  • 11月24日 - バット・マスターソン西部開拓時代ガンマン保安官(+ 1921年
  • 11月29日 - テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェークドイツ国首相(+ 1921年)
  • 12月6日(安政3年11月9日) - 上原勇作、陸軍軍人・政治家(+ 1933年
  • 12月11日 - ゲオルギー・プレハーノフ社会主義者(+ 1918年
  • 12月18日 - ジョゼフ・ジョン・トムソン物理学者(+ 1940年
  • 12月22日 - フランク・ケロッグアメリカ合衆国国務長官(+ 1937年
  • 12月28日 - ウッドロウ・ウィルソン、第28代アメリカ合衆国大統領(+ 1924年

死去

  • 1月17日安政2年12月10日) - 千葉周作北辰一刀流剣術開祖(* 1794年
  • 7月29日 - ロベルト・シューマン、作曲家(* 1810年
  • 8月19日 - シャルル・ジェラール化学者(* 1816年
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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1856年のスポーツ

1856年のスポーツ
< 1856年
  • 年度別スポーツ記事一覧
1856年前後:1855年のスポーツ - 1856年のスポーツ - 1857年のスポーツ

競馬

イギリス

クラシック
  • 2000ギニー - Fazzoletto
  • 1000ギニー - Manganese
  • エプソムダービー - エリントン
  • エプソムオークス - Mincepie
  • セントレジャーステークス - ウォーロック
その他主要レース
  • アスコットゴールドカップ - Winkfield
  • グランドナショナル - Freetrader

フランス

  • ジョッケクルブ賞 - Lion

ボート

  • オックスフォード・ケンブリッジ大学対抗レガッタ優勝:ケンブリッジ大学
  • ロンドン・ボート・クラブ結成

ラクロス

  • 最初のラクロスチーム、モントリオールラクロスクラブ設立

誕生

  • 5月6日 - ロバート・ピアリー(アメリカ、探検家、+1920年

死去

*すほつ *1856
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1856年アメリカ合衆国大統領選挙

1856年アメリカ合衆国大統領選挙
]] 1856年アメリカ合衆国大統領選挙(1856ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election of 1856)は、奴隷制の問題を巡ってそれまでになく加熱した選挙であった。共和党が奴隷勢力に対して改革に立ち上がり、民主党は、共和党が過激主義者であって、共和党に政権を渡せば内乱を招くと警告した。新らしく出来て間もない共和党はカンザス・ネブラスカ法と奴隷制の拡張を非難し、民主党は奴隷制の拡張については自由競争寄りの提案をして、それは州ごとに決められるべきという公式の立場を採った。3番目の政党として比較的新しいノウ・ナッシングは、反移民政策の立場を採り、奴隷制問題を無視し、一般投票の4分の1近くを獲得した。
現職大統領フランクリン・ピアースは民主党の予備選で再指名を得られなかった。民主党はペンシルバニア州出身のジェームズ・ブキャナンを指名した。これは民主党がカンザス・ネブラスカ法が原因で2つに割れていたことに一部原因があった。前回選挙まで民主党と戦っていたホイッグ党は奴隷制問題で崩壊し、共和党やアメリカ党のような新しい組織がそれに置き換わろうとしていた。共和党はカリフォルニア州出身のジョン・フレモントを最初の看板候補に指名した。他の2人の競争者、ウィリアム・スワードサーモン・チェイスは急進的過ぎるように思われた。ノウ・ナッシングは、元大統領で、ニューヨーク州出身のミラード・フィルモア(第13代、在位1850年-1853年)を指名した。また永遠の候補ダニエル・プラットも出馬した。
フレモントは奴隷州からも600票足らずを得た。すべてデラウェア州メリーランド州からの票であった。しかし、選挙人団投票の結果から見ると、次の1860年の選挙の時に、あと2つの州、例えばペンシルバニア州とイリノイ州を獲得すれば共和党は勝つことが出来ると思わせる結果だった。

一般選挙

選挙運動

3人の候補者全てが地方遊説をしなかった。共和党は新しい領土への奴隷制拡張に反対し、そのスローガンは「自由な言論、自由な出版、自由な土地、自由な人間、フレモントそして勝利!」であった。共和党は奴隷勢力に対して立ち上がり、奴隷制が共和制の価値を破壊していると警告した。民主党は共和党が勝てば内乱が起こると警告することで反論した。
共和党の綱領では、カンザス・ネブラスカ法、および新しい州が合衆国に自由州として加盟するか奴隷州として加盟するかを人民主権で決めるという政策によってミズーリ妥協が撤廃されることに反対した。共和党は現職のピアース大統領が、カンザス準州の市民に欺瞞的な準州政府を押し付けたことと、「血を流すカンザス」に起きた暴力沙汰を許したことを非難し、カンザスを自由州として即刻加盟させることを提唱した。合衆国の大陸内にある領土への奴隷制拡張に反対するとともに、スペイン領であったキューバを取り込むというオステンド・マニフェストにも反対した。選挙運動を要約すれば、その焦点は奴隷制度に対する反対であり、それは合衆国が築いてきた共和制の価値を破壊するものだと感じていた。 民主党の綱領では、カンザス・ネブラスカ法と西部の準州に導入された人民主権という政策を支持していた。またカンザスで選出された奴隷制擁護の準州政府を支持していた。この準州政府はカンザスの自由州推進派に対抗し、トピカ憲法を不法な会議で作られた不法な文書として反対していた。さらにブキャナンが駐イギリス大使であったときに画策したオステンド・マニフェストの中でうたわれているキューバの併合案を支持した。民主党の選挙運動で最も訴えたことは、共和党が勝てば南部の多くの州が脱退するという警告であった。

結果

一般投票の結果、過半数を制した候補者はいなかった。しかし、31州のうち北部の州を含む19州を制したブキャナンが選挙人投票では59%を制して勝利し、第15代大統領に選ばれた。共和党の敗北の原因は北部でノウ・ナッシングと競合し票が分散したことが挙げられた。

投票結果

出典 (一般選挙): Leip PV source| year=1856| as of=July 27, 2005
出典 (選挙人選挙): National Archives EV source| year=1856| as of=July 31, 2005
(注) サウスカロライナ州のみ選挙人が州議会で選ばれており、一般投票を行っていない。

関連項目

  • アメリカ合衆国大統領選挙
  • 南北戦争の原因

参考文献

  • Tyler Anbinder, Nativism and Slavery: The Northern Know Nothings and the Politics of the 1850s (1992)
  • Eric Foner, Free Soil, Free Labor, Free Men: The Ideology of the Republican Party before the Civil War (1970)
  • William E. Gienapp, The Origins of the Republican Party, 1852-1856 (1987).
  • Michael F. Holt, The Political Crisis of the 1850s (1978), pp 139-81
  • Nevins, Allan. Ordeal of the Union: vol 2: A House Dividing, 1852-1857 (1947), the most detailed narrative
  • Michael D. Pierson; "'Prairies on Fire': The Organization of the 1856 Mass Republican Rally in Beloit, Wisconsin" Civil War History, Vol. 48, 2002
  • James A. Rawley, Race and Politics: "Bleeding Kansas" and the Coming of the Civil War (1969)
  • Richard H. Sewell, Ballots for Freedom: Antislavery Politics in the United States, 1837-1860 (1976) 254-91

外部リンク

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