西田 亨(にしだ とおる、1930年7月1日 - )は、アメリカハワイ州出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。1960年~1961年の登録名はビル西田。
来歴・人物
1952年、前年入団した西田と同じ日系ハワイ人、与那嶺要の成功を受けて読売ジャイアンツに入団するがあまりいい成績が残せなかった。その後1955年に退団。
1958年に東映フライヤーズでプロ復帰。この年に素晴らしいピッチングで負けは多いものの16勝19敗をマークし、オールスターゲームにも出場した。
1960年に大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)へ、1963年に国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)へ移籍となりこの年に引退。
現在はハワイへ帰国し、整体師をしている。
タイトル・表彰
通算成績
150試合登板 31勝34敗 投球回数621.2 341奪三振 防御率2.66
逸話
1958年
7月19日、西鉄ライオンズの西村貞朗が駒澤球場での東映フライヤーズ戦で完全試合を達成した時、相手チーム東映の先発投手が西田で、決勝点となる本塁打を豊田泰光に打たれた。
豊田が後年、ハワイ旅行した際に西田と再会し、昔話に花が咲いた。その際にあの完全試合の話が出て、その豊田の決勝本塁打について、西田に「俺はあの試合、全然打たれる気がしなかったのに、トヨちゃんにホームラン打たれた時はガックリ来たョ。それで(西村に)完全試合やられたでしょ。俺にとっちゃあれは忘れられないホームランだよ……」とグチられたことを、豊田自身が日本経済新聞のコラムにて記していた、
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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