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柳沢裕一

柳沢裕一
柳沢 裕一(やなぎさわ ゆういち、1971年8月2日 - )は、元プロ野球選手である。ポジションは捕手

来歴・人物

大学時代は強肩でならし、また東京六大学リーグ戦では1試合3本塁打を記録した実績も買われて、1993年ドラフト会議読売ジャイアンツより2位指名をされて入団。即戦力捕手として期待されたが、打撃が伸び悩んだことや、家庭のトラブルもあり1999年シーズンさなかに伊藤隆偉投手とのトレードでオリックスに移籍した。温厚な人柄であり、オリックスではイチローと仲が良かった。イチローがメジャー移籍を果たした現在も、時々自主トレを一緒に行い、イチローの心許せる数少ないプロ野球関係者である。2001年には吉原孝介捕手とのトレードで中日に移籍(吉原も1999年のシーズン途中に巨人から中日へ移籍していた)。
2004年シーズンでは、二番手捕手として谷繁元信の故障時の穴を埋め、「スーパーサブ」として高い評価を受けた。巨人戦でタイムリーを放ち、ヒーローインタビューで「僕はジャイアンツを出された人間ですから…何とか今日まで活躍できたことが…すごいうれしかったです。」と涙を浮かべながら言った。投手の調子を見抜く能力が高いらしく、中日で二番手捕手になるまでオリックス、中日ではブルペンを固める裏方としての評価が高かったため、2002年までは半ばコーチのような存在で推移していた。
ちなみに、年間で最もヒットを打ったシーズンは1997年の26本であるが、打点は0であった。通算打点0のまま巨人を去り(この時点での通算安打数は28)、オリックスでは打点どころかヒットも1本も打てずに中日に移籍した。その後、中日で2番手捕手の座を固めていくうちに、打点も稼げるようになってきた。
2005年オフの契約更改で「スーパーサブ」を剥奪され、再び激しい競争へ。さらに追い討ちをかける様に数日後野口茂樹投手が巨人にFA移籍した代わりに補償によって獲得した小田幸平が二番手捕手争いに参戦したことにより、2006年シーズンは1軍での出場機会が0試合となり、ついに2006年10月13日、戦力外通告を受け退団。
2007年2月、福岡ソフトバンクホークス春季キャンプにテスト生として参加したが、不合格に終わった。
2008年現在、元中日捕手の大先輩である新宅洋志が主宰する「ドラゴンズOB少年野球教室」に大豊泰昭前原博之落合英二らと共に講師として参加することもあるが、本人曰く「浪人中の身」であり、今もなお現役復帰の意志は衰えていない。

エピソード

2002年 5月26日ナゴヤドームでの阪神タイガース戦は5-0で阪神が中日をリード。9回表の阪神1アウト2塁の場面で打席の矢野輝弘はセーフティーバントの構えから1球目を見逃した。その時に柳沢が「5点差もあるのにセーフティーバントか」とつぶやき、これを聞いた矢野は「うちの作戦をとやかく言われる筋合いはない」と言い返した。二人が言い争いをしているなかで一塁手レオ・ゴメスが参戦し、矢野の胸を手で突いたために両軍のベンチから選手たちが飛び出してあわや乱闘となるとこだった。

通算成績(2005年シーズン終了時)

  • 204試合 打率.209(320打数67安打) 1本塁打 17打点 3盗塁

関連項目

  • 長野県出身の人物一覧
  • 読売ジャイアンツの選手一覧
  • オリックス・ブルーウェーブの選手一覧
  • 中日ドラゴンズの選手一覧
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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