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安田康彦

安田康彦
安田 康彦(やすだ やすひこ、1972年10月19日 - )は日本中央競馬会所属の元騎手である。通算成績は4729戦402勝。滋賀県出身。愛称は「ヤスヤス」。栗東の調教師安田伊佐夫は父。

経歴・人物

競馬学校 騎手教育課程第7期の同期には藤田伸二四位洋文などがいる。
栗東・宇田明彦厩舎から1991年3月2日中京競馬第2競走でロンググレート騎乗にてデビューし、同年3月16日の中京競馬第3競走で同馬にて初勝利を飾る。
重賞初勝利は1992年札幌3歳ステークスでテイエムハリケーン騎乗にて挙げた。
1999年秋華賞ブゼンキャンドルに騎乗し、12番人気の低評価を覆して、自身初のGI勝利となった。レース後の勝利騎手インタビューでは「穴を開けてしまってすみません」と笑顔で話した。2002年菊花賞でも16番人気のファストタテヤマを2着に導くなど、重賞競走での穴男的存在であった。
2000年には前年のデビュー時から主戦騎手を務めていたメイショウドトウがGIでたびたび連に絡むほどに成長。和田竜二騎乗のテイエムオペラオーと幾度たる死闘を繰り広げた。2001年宝塚記念では先行策を取り、テイエムオペラオーの追撃を振り切っての勝利を挙げた。
父譲りの高い騎乗センスを持ち「穴ジョッキー」として人気のある騎手だったが素行にはかなりの問題があり、調教に酒を飲んだまま参加したり調教を無断で休み、厩舎関係者からクレームが相次ぐなど数々の問題を起こしていた。
2000年9月には札幌競馬遠征中に札幌市内の市道を酒気帯び運転で法定速度を34キロオーバーし、道路交通法違反で現行犯逮捕された。JRAの裁定委員会は安田に2カ月間の騎乗停止処分を命じた。この処分を受け、メイショウドトウの2000年のオールカマー天皇賞(秋)には的場均が騎乗することとなった。
こういった事情もあってか、GIジョッキーにも関わらず2005年頃から急激に騎乗数が減った。調教師である父からの騎乗依頼も激減するなど厳しい状況になり、2006年4月30日を以って騎手を引退した。引退届けは父親が出した。引退後は行方不明になり、ファンや関係者から困惑の声が上がっていた。
2007年 9月5日京都市東山区のコンビニで店員を恐喝したとして京都府警察に逮捕された。この際報道された安田の身分は「京都市東山区の自由業」であった。夕刊フジのインタビューに対し父は「親子の縁を切っています」とこの事件を機に絶縁を宣言した。

重賞競走勝利一覧及び当該競走における騎乗馬(年度別)

  • 1992年
    • 札幌3歳ステークス(テイエムハリケーン)
  • 1996年
    • 小倉大賞典(アラタマワンダー)
    • 武蔵野ステークス(キソジゴールド)
  • 1997年
    • 北海道スプリントカップ(メイショウモトナリ)
    • スーパーダートダービー(メイショウモトナリ)
  • 1998年
    • 名古屋大賞典(メイショウモトナリ)
    • 鳴尾記念(サンライズフラッグ)
  • 1999年
    • かきつばた記念(メイショウモトナリ)
    • 京成杯オータムハンデキャップ(サンライズアトラス)
    • 秋華賞(ブゼンキャンドル)
  • 2000年
    • 中京記念(メイショウドトウ)
    • 金鯱賞(メイショウドトウ)
  • 2001年
    • 京都記念(マックロウ)
    • 日経賞(メイショウドトウ)
    • 宝塚記念(メイショウドトウ)
    • デイリー杯2歳ステークス(ファストタテヤマ)
  • 2002年
    • 京都新聞杯(ファストタテヤマ)
  • 2004年
    • ファルコンステークス(キョウワハピネス)

出典

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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