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ホセ・オーティズ

ホセ・オーティズ
ホセ・オーティズJose Ortiz , 1977年6月13日 - )は、。ドミニカ共和国出身のプロ野球選手内野手)。

来歴

17歳でメジャー契約を結ぶなど、高い身体能力が早くから注目されていた内野手。
2003年
オリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ)に入団。背番号は8で、1年目からいきなり33本のホームランを放つ。5月3日の対西武ライオンズ戦ではサイクルヒットを達成。しかし、主に二塁手として出場していたものの、打球処理が雑で状況判断も悪く失策を連発。失策数は24と破格の多さで、リーグワーストを記録してしまった。チャンスにも弱く、併殺打も多かった。
2004年
守備難から西武から移籍してきた伊原春樹監督によって一塁手にコンバートされる。打率2割8分9厘、24本塁打とまずまずの成績を残し、監督推薦によるオールスターの出場も果たしたが前述の弱点は改善されず(結局一塁手でも18失策と圧倒的に多かった)、1億円を超える高額な年俸、またこの年チームが近鉄と合併する等の事情も重なり同年オフに解雇された。その後はアメリカの独立リーグやメキシコリーグでプレーした。この間、投手としてのプレーも経験するなど、辛酸をなめた。
2007年
シーズン途中の6月25日ソフトバンクから移籍したフリオ・ズレータの離脱により右打ちの内野手の補強を目指していた千葉ロッテマリーンズに入団が決定。日本球界に3年ぶりに復帰した。背番号は4。契約金・年俸はおよそ3000万円(推定)。ロッテ入団後は、入団第一号を満塁ホームランで飾るなど、オリックス時代の課題だった勝負強さを身に付け、更にオリックス時代に失策を連発していた二塁守備も堅実で幾度もチームのピンチを救い、毒舌解説で知られる倉持明に絶賛されるほどであった(シーズン途中からの加入とはいえ、シーズンの約半分の出場で2失策のみ)。守備位置は主に二塁手だが、福浦和也フリオ・ズレータの欠場時などは一塁手を守る。また時折三塁手として出場することもあるほか、2007年9月16日オリックス戦で二塁手で先発出場したあと9回裏から遊撃手の守備についた(守備機会0)。
2008年
この年はグラブ投げつけ事件(後述)で悪評が集まってしまったが、この年も三塁守備は不安定だったが二塁守備はそこそこ安定しており、また打撃も助っ人としては若干物足りないが、打率.288、本塁打11、打点37の成績を残すなどまずまずの活躍を見せた。12月2日自由契約公示されたものの、残留する模様。

エピソード

  • イチローメジャーデビュー戦で最初の打席に打ったセカンドゴロをとったのはこのオーティズである。
  • ファーストネームが「ホセ」であることから、千葉ロッテでの応援歌はかつてホセ・フェルナンデス(現・楽天)の応援歌だったもの(原曲は『リパブリック讃歌』)が使用されている。
  • 2008年5月4日千葉マリンスタジアムでの西武戦で二塁守備時に栗山巧が打った一二塁間を抜けようかという打球にグラブを投げて止めたため、野球規則により安全進塁権を3つ与え3塁打にしてしまった。西武の黒江透修ヘッドコーチはこのプレーについて「40年以上の野球人生で見たことがない」と発言している。このあと石井義人の犠牲フライにより失点につながっている。このプレーに関して本人は相当ショックを受けたらしく、首脳陣はカウンセリングを受けさせる事すら検討した。
  • オリックスを退団後、メジャーや日本で生き残るには守備を上達させないといけないと実感し猛練習したという。当時の伊原監督が守備の細かいことに口出しするのを、不快に感じたが、今では彼の言っていることは正しいと思い、指導者として尊敬しているという。
  • 前述のサイクルヒットを達成したときにもらった時計をとても大切にしている。

年度別成績

年度別打撃成績

  • 2008年度シーズン終了時

年度別守備成績

背番号

  • 8(2003年 - 2004年)
  • 4(2007年途中 - 2008年)

脚注

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
Text is available under GNU Free Documentation License.
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