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パブロ・ダニエル・オスヴァルド

パブロ・ダニエル・オスヴァルド
パブロ・ダニエル・オスヴァルドPablo Daniel Osvaldo, 1986年1月12日 - )はアルゼンチン共和国出身、フィオレンティーナに所属するサッカー選手。ポジションはフォワード
その出身地と背番号9を背負ったことから、フィオレンティーナにおけるガブリエル・バティストゥータの後継者と期待される将来性豊かな選手である。アルゼンチンイタリアとの2重国籍を持ち、代表はイタリア代表を選択している。

プレースタイル

南米出身選手特有の柔らかいボールタッチと、前線のポジションを複数こなす柔軟性を併せ持つ選手である。したがって、ガブリエル・バティストゥータの後継者という触れ込みからプレースタイルまでも似ていると誤解されがちだが、生粋のセンターフォワードというわけではない。U-21代表ではそのポジションもこなすが、所属クラブではセカンドトップウィングとして起用されることが多い。これは、彼がポストプレーを得意としているプレーヤーではなく、ドリブルでの仕掛けや、エリア内でのシュートの上手さに特徴があることから、チェーザレ・プランデッリ監督は1.5列目での起用を試行しているためである。ゲームの組み立てに絡む事は少なく、試合を通して活躍するタイプではないが、ここぞという場面で重要なゴールを挙げてきた非常に勝負強い選手でもある。

来歴

下部組織時代

1995-2005
*1995年、オスヴァルドが9歳のときに、出身地ブエノスアイレスを本拠地とするアルゼンチンプロサッカーリーグの1部チームCAラヌースの下部組織に入団する。ここで4年を過ごした後に、同じくブエノスアイレスを本拠地としているCAバンフィールドに籍を移すが1年で退団する。
*2000年に当時ルイス・ゴンサレス等が所属していたCAウラカンに移籍し、2005年まで同クラブの下部組織でプレーしている。

プロ選手時代

2005-2006シーズン
*このシーズン、オスヴァルドが19歳のときに、下部組織での活躍に目を着けたセリエA所属のアタランタBCにスカウトされる。
*2006年1月に20歳で祖国を離れ、イタリアのアタランタBCに加入する。後にフィオレンティーナでチームメイトとなるジャンパオロ・パッツィーニと入れ替わりの移籍であった。渡伊初年度は3試合出場し、1得点を挙げるに留まるが念願のトップチームデビューを果たした。
2006-2007シーズン
*出場機会を求めセリエBUSレッチェにレンタル移籍すると、31試合に出場し8得点を挙げる活躍をした。その実績が認められ、2007年8月にフィオレンティーナのスポーツディレクター、パンタレオ・コルヴィーノに見初められセリエAの舞台にステップアップを果たした。
2007-2008シーズン
*2007年9月29日に行われた対リヴォルノ戦にアドリアン・ムトゥとのターンオーバーによってスタメン出場を果たすと、セリエAデビュー試合にも拘らずドッピエッタ(2得点)を達成した。この派手なデビューによってオスヴァルドの名はイタリア全国に届き渡った。オスヴァルドはアルゼンチンイタリアの2重国籍を取得していることもあり、U21イタリア代表監督のピエルルイジ・カジラギはこの活躍を聞きつけると、早速オスヴァルドを代表に招集することにした(21歳を超えてからの代表の選択は、たとえ下のカテゴリーであっても後に所属する代表国を変えられないため、早々に招集することがイタリア代表に有益だとの判断)。本人はコルヴィーノ氏と相談の末この要請を受けることにしたが、初回の要請は怪我の為招集までは至らなかったが、その後に再招集され、2007年11月16日の対U-21アゼルバイジャン戦にてU-21イタリア代表として出場を果たした。
*2008年3月2日オスヴァルドは、アウェイのユヴェントス戦において2-2で迎えた後半のロスタイムに劇的な逆転ゴールを挙げる。ゴール後、アウェイに詰め掛けたヴィオラティフォジに向かってガブリエル・バティストゥータの代表的なゴールパフォーマンスである「マシンガンパフォーマンス」を披露し、20年ぶりとなる敵地でのユヴェントスの勝利に歓喜するティフォジを熱狂させた。ユヴェントスとフィオレンティーナのティフォジはロベルト・バッジョ移籍騒動以来、大変険悪であり、特にフィオレンティーナ側は一方的とも言えるほどの強いライバル意識を持っている。そのため、この日の勝利後のフィレンツェの街はイタリアがワールドカップで優勝したとき以上のお祭り騒ぎとなった。
*2008年5月18日、このシーズンの最終節であり、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を得られる4位の座をかけたアウェイのトリノ戦が行われた。勝てば5位ACミランの結果に関わらずフィオレンティーナの4位が決まる重要な1戦であった。拮抗した試合が続く中、またしてもオスヴァルドはフィオレンティーナを劇的な勝利に導く。後半35分、右サイドからのマルティン・ヨルゲンセンのクロスを頭でトラップすると、そのままオーバーヘッドキックでシュートを放ちボールをネットに突き刺した。結局この得点が決勝点となり、フィオレンティーナは翌シーズンのチャンピオンズリーグ出場権を得ることになった。

備考

  • フィオレンティーナ移籍時は無名に近い選手であったにも拘らず、フィレンツェにおける英雄であり、オスヴァルドとも同郷のガブリエル・バティストゥータと同じ背番号9番を選択し地元では話題になった。ただし、無名の選手に対する偏見からか懐疑的な見方が多かったとされる。しかし、その後の再三の活躍によりティフォジにも受け入れられた。

関連人物

  • ガブリエル・バティストゥータ
  • パンタレオ・コルヴィーノ

所属クラブ

  • CAラヌース 1995-1999
  • CAバンフィールド 1999-2000
  • CAウラカン 2000-2006 ※2005まで下部組織
  • アタランタBC 2006
  • USレッチェ 2006-2007 ※レンタル
  • フィオレンティーナ 2007-

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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