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ナイジェル・ウィルソン

ナイジェル・ウィルソン
ナイジェル・ウィルソンNigel Edward Wilson , 1970年1月12日 - )は、カナダオンタリオ州出身のプロ野球選手である。1997年から2002年まで、日本ハムファイターズ2002年には大阪近鉄バファローズに所属していた選手。ポジションは指名打者(登録上は外野手)。

来歴・人物

1987年トロント・ブルージェイズにドラフト外で入団。1993年の球団拡張ドラフトでフロリダ・マーリンズに指名され、その後シンシナティ・レッズクリーブランド・インディアンスへと移籍した。
1997年阪急ブレーブス三冠王を獲得したブーマーの推薦により日本ハムファイターズに入団。同年6月21日の対近鉄バファローズ戦(大阪ドーム)で、王貞治以来の1試合4打席連続本塁打を達成。第1打席にヒットを放っていたため、同時に1試合17塁打パ・リーグ記録となった。この年は37本塁打で本塁打王に輝いた。
1998年には前年と違い、日本野球に順応し、本塁打ばかり狙うのではなく、チャンスでヒットを狙い打つ打撃も覚え、ほぼ全試合に出場、33本塁打、124打点で本塁打・打点の2冠王を獲得。打数でもリーグ2位となると共に、ベストナインも受賞した。
1999年の故障によりシーズン序盤にリタイア。たった6試合に出場しただけでシーズンを終える。解雇されてもおかしくなかったが、故障が癒えたと判断した球団側が残留させる。
2000年は前年の球団の温情に応え、自己最高打率の.294、さらに37本塁打、89打点を記録。惜しくも本塁打王は逃したがベストナインを受賞するなど、完全復活を遂げる。
しかし2001年はまたもケガが重なり、5年間在籍したファイターズを退団。
2002年に長距離砲の補強を目指していた近鉄がウィルソンを獲得。恐怖の7番打者としてスタートしたが活躍できず、同年退団。
2003年、マイナー契約でニューヨーク・ヤンキースに入団。
丸みのある顔と体格から「プーさん」の愛称を持っていた。
そのバッティングスタイルはまさに、ホームランか三振かというもので、破壊力はすごいが連続三振も多いという欠点があった。元チームメイトの落合博満は、「責任感が強く多少のケガでは試合を休まない選手」と述べているが、度重なる故障を克服することはできなかった。
バッティングに関しては2冠王や2年連続の本塁打王を獲得するなどリーグ屈指のパワーヒッターだったが、守備に関しては素人同然ともいわれた。本人もその事を分かっているのか(一説には、持病の膝のケガの負担を避けるためウィルソンが守備練習を辞めたと言われている)、来日した際に当時の上田利治監督が「お前はどこを守れる?」と尋ねたとき、ウィルソンは「DH」と答えたという。
数々のタイトル、記録を打ちたて、同チームではトニー・ソレイタ以来、最強外国人助っ人の1人として、同時期に活躍したシャーマン・オバンドーと共に恐れられていた。試合以外では、当時の人気お笑いコンビパイレーツの持ちネタである「だっちゅーの」をよくやっていた。
来日してから2年連続で本塁打王を獲得した球界史上初のプレイヤーである。

通算成績

  • 実働6年
461試合 1903打数 444安打 119本塁打 337打点 2盗塁 打率.265

タイトル

  • 本塁打王
2回 (1997年、1998年)
  • 打点王
1回 (1998年)
  • ベストナイン
2回 (1998年、2000年 指名打者部門)

記録

  • 4打席連続本塁打
(1試合での達成は王貞治以来の快挙)
  • 1試合最多本塁打
(4本、球界最高記録)
  • 1試合17塁打
(リーグ最高記録。2006年終了時点のパ・リーグ記録)
  • 最多死球
(14個、1997年)

背番号

  • 15(1997年〜2002年)

関連項目

  • ブーマー・ウェルズ代理人
  • ビッグバン打線
  • 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
  • 大阪近鉄バファローズの選手一覧
  • カナダ出身のメジャーリーグ選手一覧

外部リンク

*ONTARIO PROSPECTS - ウィルソンが運営に携わるベースボールアカデミー
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
Text is available under GNU Free Documentation License.
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