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ジャンパオロ・パッツィーニ

ジャンパオロ・パッツィーニ
ジャンパオロ・パッツィーニGiampaolo Pazzini, 1984年8月2日 - )はイタリアトスカーナフィレンツェ近郊ペーシャ出身、フィオレンティーナ所属のサッカー選手。ポジションはフォワード
育成部門に定評があるアタランタ下部組織出身。アンダー世代の各イタリア代表にも招集されており、将来を嘱望されている選手の1人である。2005年にはフィリッポ・インザーギ(1997年)、アレッサンドロ・ネスタ(1998年)、フランチェスコ・トッティ(1999年)、アントニオ・カッサーノ(2001、2003年)、アルベルト・ジラルディーノ(2004年)、ダニエレ・デ・ロッシ(2006年)等も受賞しているセリエA最優秀若手賞(オスカル・デル・カルチョに選ばれた。姓のパッツィーニという響きと、プレースタイルやティフォージの願いを込めて、イタリア語で「狂気、途方もない」を意味するパッツォPazzo)という愛称で呼ばれている。

プレースタイル

スピード、得点感覚、ポジショニングに優れた万能型のフォワードであり、滞空時間の長いヘディングに特徴がある。ドリブルやトラップ等といった基本的な足元の技術も高いが、しなやかな身のこなしを活かした3次元的な動きや、優れたコーディネーションによるストライカーとしての質の高い動きこそ彼の最大の魅力だろう。また、周囲の選手を活かしたり活かされたりと周りとの連携も上手く、どのようなタイプのフォワードと組んでも高い機能性を示す。その万能性からか、中盤まで下がり攻撃の組み立てにも頻繁に顔を出し、チームのビルドアップに貢献しようとミッドフィールダーのように振舞うこともしばしばみられる。所属クラブのチェーザレ・プランデッリ監督はポテンシャルの高さを認めつつ「ストライカーとしてはもっとエゴイストであっても良い。」と指摘している。一時期セカンドトップとして起用される事があったが、センターフォワードが本職である。

来歴

下部組織時代

1995-2003
*フィレンツェ近郊で行われたU-11 EUROPE CUPに、アタランタ下部組織所属選手として出場した際、大会のMVPに選出されるなど若い頃から才能は認められていた。
*U-16イタリア代表から各世代の代表に招集され、サッカーエリートとしてのキャリアをつんでいる。

プロ選手時代

2003-2004シーズン
*当時セリエB所属のアタランタでプロとしてのキャリアをスタートさせる。公式戦39試合に出場、9得点し、チームのセリエA昇格に貢献する。また、UEFA主催のU-19欧州選手権2003にU-19イタリア代表として出場し、優勝している。
2004-2005シーズン
*昇格したアタランタにおいてセリエAデビューを果たし、前半戦は12試合に出場、3得点している。2005年1月、冬の移籍市場においてアタランタからフィオレンティーナに移籍。当時、驚異的な強さで首位を走る宿敵ユヴェントス相手にホームでの試合で得点し、弱冠20歳の若手フォワードはヴィオラティフォージの心を掴むこととなる。シーズン後半戦に移籍したフィオレンティーナでは14試合出場、3得点している。
2005-2006シーズン
*このシーズンに31得点しゴールデンシューを獲得したルカ・トーニの控えに甘んじることとなるが、2番手ストライカーの座をヴァレリ・ボジノフと争った。ユヴェントス戦やインテル戦等のビッグクラブ相手の得点が高く評価され、セリエA最優秀若手賞(カルチョ・オスカー)を受賞している。途中交代での出場など出場時間は限られていたが、26試合に出場、5得点しており、どれも重要なゴールであった。
2006-2007シーズン
*開幕前にU-21イタリア代表の試合で負った怪我のため長期間離脱し、前半戦を棒に振る。復帰後は、イタリア代表でも不動のレギュラーであったトーニの控えであり続ける事に不満を訴え、冬の移籍シーズンにレンタルでの移籍を志願したと言われている。その後、アドリアン・ムトゥ等のチームメイトやチェーザレ・プランデッリ監督の説得に応じ、結局はシーズン終了まで残留することとなる。怪我明けの復帰1戦目の古巣アタランタ戦においてドッピエッタ(2得点)を記録し、最終的にこのシーズンは24試合出場、7得点している。
*2007年3月10日に、長期間の改装工事を終えたウェンブリー・スタジアムにおいて、U-21イングランド代表対U-21イタリア代表のフレンドリーマッチが杮落としとして行われた。記念すべきこの試合でパッツィーニは自身でも予期しなかった偉業を成し遂げる。背番号9番を背負いスタメンとして出場したパッツィーニは、スタジアム史上最速(試合開始28秒後)の歴史に残る先制点を挙げるのみならず、トリプレッタ(3得点)を記録したのだ。さらに、パッツィーニは後半に交代した際に、敵地であるにも拘らずイングランドサポーターのスタンディングオベーションを受けた。怪我や、世界王者であるイタリア代表のレギュラーFWトーニとのポジション争い等、不可抗力とはいえ不本意なシーズンを過ごすパッツィーニであったが、この一連の出来事は彼の名をヨーロッパにおいて認知させるには充分であった。フィオレンティーナのクラブ幹部はこの活躍を重要なものと受け止め、2006-2007シーズン終了後に移籍が確実とされたトーニの後継者をパッツィーニに託すことに決定した。
2007-2008シーズン
*開幕前のチェーザレ・プランデッリ監督は、インタビューにおいてパッツィーニをレギュラーで起用する事を公言しており、トーニの後継者としての期待が高まっていた。シーズン開幕後は試合中に才気溢れるプレーを何度も披露し観客を沸かせたが、得点だけはなかなか決まらず偉大すぎる前任者の重圧を払拭することはできなかった。シーズン中プランデッリ監督が「シーズン12ゴールくらいはするだろう。」とエースストライカーとしてはやや低めの目標を設定していたが、こちらはカップ戦を含めて達成できている(リーグ9得点、カップ戦3得点)。エースとしては充分とは言えないまでも、スタメン1年目でこの年代の選手としてはまずまずの成績を収めたパッツィーニではあるが、クラブが戦うステージが上がってきたこともあり、ヨーロッパの舞台(UEFAカップ)で無得点であったことは、次シーズンにチャンピオンズリーグを出場を控えるクラブに一抹の不安を残すこととなった。
2008-2009シーズン
*プランデッリの愛弟子でイタリア代表のFWでもあるアルベルト・ジラルディーノがフィオレンティーナに移籍し予想を上回るペースで得点を量産、同ポジションのパッツィーニは控えに甘んじている。

備考

  • クラブではポジション争いのライバルであったが、イタリア代表であるルカ・トーニとは公私ともに仲が良く、ウェンブリーでの試合の数日後に行われたユーロ2008予選のイタリア代表対スコットランド代表戦でトーニがドッピエッタ(2得点)すると、インタビューにおいてお互いを称え合っている。パッツィーニが移籍を志願した際にはトーニはパッツィーニを擁護し、年越しを一緒に過ごす等、師弟関係にも似た友情を築いている。
  • アタランタ下部組織や各アンダー世代の代表でも同僚であるリッカルド・モントリーヴォとも仲が良い。パッツィーニとモントリーヴォは背格好が似ていることから、彼等の名前を繋げたパッツォリーヴォPazzolivo)として、フィオレンティーナのオフィシャルホームページやナイキのCMにおいて、実は同一人物なのではないかというネタにされている。(外部リンク参照)
  • 得点後、ときおりみせるゴールパフォーマンス(人差し指と中指をそれぞれ両目の下にあてがう)は「今のゴール見た!?」というアピールである。したがって、勝敗を決める得点や、アクロバティックなゴール後に行うことが多い。

所属クラブ

  • アタランタBC(イタリア) 2003-2004 ※シーズン途中に移籍
  • フィオレンティーナ(イタリア) 2005-

外部リンク


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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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