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英和・和英辞典の検索結果

hide

hide
…‘を’『隠す』 〈感情など〉‘を’人に知られないようにする,おもてに出さない,秘密にする 〈物が〉…‘を’見えなくする,おおい隠す 『隠れる』,潜む (狩猟・撮影などのため)動物を観察する隠れ場所

Wikipediaの検索結果

HIDE

HIDE
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
Text is available under GNU Free Documentation License.
ご利用上の注意

Hide

Hide
hide(ヒデ、1964年12月13日 - 1998年5月2日)は日本ロックバンドであるX (X JAPAN) のギタリストミュージシャンアーティストである。基本的にXでは大文字で「HIDE」、ソロ活動では小文字で「hide」、と表記を区別している。愛称は「hideちゃん」。。

概要

横須賀サーベルタイガー解散後、1987年初めに当時のXに加入。PATAも加わって、メジャーデビュー時のメンバー構成になり、たいていの楽曲でリードギターを担当した。また、一部曲の作詞および作曲も担当。ライブ等でも独自の派手かつ奇抜なパフォーマンスビジュアルで自らを主張し、YOSHIKIとはまた一味違う存在感を放った。他のメンバーが派手なビジュアルを止め、徐々に素顔を見せるようになる中で、HIDEだけは「ファンからどう見られるか」に徹底して拘り、ヘアースタイル、ステージ衣装にビジュアル性を重視し、独自の個性を貫き続けた。
1993年から開始したソロ活動では、作詞作曲ボーカルギターベース(一部曲)、プロデューサーなどほとんどを自らが行ったマルチプレーヤーである。
X JAPAN解散後のソロ活動はhide with Spread Beaver名義で行っている。hideと、ソロ活動のツアーサポートメンバーバックバンド)による一つのバンドに近い形態であり、hide曰く「沢田研二エキゾチックスみたいな感じ」だという。それとは別にzilch(ヂルチ)という日本国外のミュージシャンと組んだバンド(ユニット)があり、アメリカ世界)デビューを計画しており、マリリン・マンソンから「前座でいいからやらせてくれ」「そのかわりアメリカをまわるときは一緒にやろう」と対バンを申し込まれたりもしていた。(宝島社著「hideDAYS」松本裕士インタヴューより)
解散前のXも含めてこれらの活動は基本的に並行して行われていたが、それら全てが軌道に乗り始めた矢先に死去した。
彼の没後も公式ページは更新されており、X復活後もYOSHIKIらの「HIDEを含めたX JAPAN」という意向から彼の公式ページでも他の4人と同様の内容が掲載され、復活コンサートのチケット販売も行われた。

人物

本名は松本 秀人(まつもと ひでと)、神奈川県横須賀市出身。血液型AB型逗子開成高等学校卒業。
少年時代には肥満からくるコンプレックスのため、内気で大人しい子供だったという。小学校の卒業文集の将来の夢の欄には「医者になってみはなされた患者さんを助けてあげたい」と書いている。中学時代にはいじめも経験した。
また、教育熱心な家庭であったのかや習い事に通う忙しい小学生であったという。アメリカへの集団でのホームステイも経験している。その当時を知る人は、少年時代のhideからはテレビなどで活躍するhideの姿はとても想像がつかなかったと語っている。
中学生の頃にキッスレコードを初めて聞いた時に大きな衝撃を受け、ロックに目覚める。 以後は俗に言う「ロック少年」となり、様々なロックを聴き漁るようになる。そういった中でhideが強く影響を受けたバンドには、主に、キッス(特にエース・フレーリー)、ザ・クラッシュアイアン・メイデンなどの名前が挙げられる。山本恭司 (BOW WOW) のファンでもあり、hideの愛器となる「モッキンバード」を手にするようになったキッカケは「(BOW WOWの)ミツヒロ(斎藤光浩)さんが持っていたから」とのことである。
その後、エレキギターを手に入れたが当初はバンド活動はしておらず、そのまま高校へと進学した。その進学した高校が「エレキ禁止」であったためにバンドを組めずにいたが、不良の溜まり場などと言われていた横須賀のドブ板ストリートに出入りするようになり、そこで出会った仲間達とバンドを結成する。このバンドがX加入以前に活動していた唯一のバンド、「サーベルタイガー」となった(正確には、中学でもバンドを組んだが形だけで音楽活動はしなかった)。
また、「おばあちゃん子」であったhideは美容院を営んでいた祖母からの影響を少なからず受けている。Xデビュー当時は祖母のサリーをステージ衣装として借りていたことも。祖母と言うには若くて派手な人であったために、後のファッションなどの基盤となったとも言われ、更に高校卒業後にはハリウッド美容専門学校へと進み、卒業をして実際に美容院で働いてもいた。中学生のhideに高級品であったギブソンを買い与えたのも祖母。「サーベルタイガー」を解散した時には、全ての音楽活動からは足を洗って美容師として生きていこうと決心をしたが、結局はYOSHIKIの誘いでXに加入することになる。
テレビゲームが好きで、好んで視聴したり遊んだりしていた。これらがあるとそればかりをしてしまうために、一年の内の多くを過ごしていたロサンゼルスでは(日本のテレビ番組が放送されないため)音楽ぐらいしかやる事が無く、集中できるために音楽を作るには適した環境と語っていた。テレビ番組の中では特にお笑い番組が好きで、当時人気を誇っていた「ダウンタウンのごっつええ感じ」などがお気に入りであり、ダウンタウン(特に松本人志)のファンでもあった。また、スーパーファミコンソフト『スターフォックス』にはまっていたために、デビューシングルの『EYES LOVE YOU』のPVではそこから得たアイディアを取り入れている。
好きでもあり、日本酒が好み。ただし、X加入までは殆ど飲めなかったらしい。Xに加入したHIDEに酒を教えたのはPATAであると言われる。
晩年期の音楽的嗜好としては、ナイン・インチ・ネイルズ、ミニストリー、マリリン・マンソン、ホワイトゾンビ、ジェーンズ・アディクションストーン・テンプル・パイロッツダムドオブリヴィオン・ダストCocco少年ナイフコーネリアスなどが挙げられる。また今井寿藤井麻輝と雑誌で対談した時に意気投合し、当時今井と藤井が組んでいたSCHAFTとコラボレーションをする方向で話が盛り上がった(実現こそしなかったが、zilchのリミックスアルバムにSCHAFTが参加することで希望は叶えられた。)。オルタナティブロック等の、ジャンルに囚わない幅広い音楽傾向が、hideのソロ活動の作曲面に寄与していたものと思われる。

略歴

  • 1980年頃、自らが中心となりアマチュアバンドサーベルタイガー横須賀サーベルタイガー)を結成。曲を作り、ギターを担当した。SABER TIGERとは別のバンド。
  • 1986年、サーベルタイガーは人気・知名度も上がり、その名が知られるまでになっていたがメンバーの脱退などをきっかけに解散。一度は音楽をやめるつもりであったが、同じようにバンド活動をしていたXYOSHIKIからの誘いを受けてXに加入した。
  • 1989年 4月にXはアルバム『BLUE BLOOD』でメジャーデビュー。ギタリストにとどまらずビジュアル全般を担当し、メンバーののセットなどもしていたという。Xは主にYOSHIKIが作詞・作曲を行っていたが、HIDEも一部曲で作詞・作曲をしていた。
  • 1993年 8月5日、『EYES LOVE YOU』(アイズ・ラブ・ユー)、『50%&50%』(フィフティー・フィフティー)のシングル2枚同時発売でソロデビュー。Xと平行してのソロ活動が始まった。9月23日にはZI:KILLのTUSKと、映像作品『Seth et Holth』を発表する。「ZI:KILLとhide=ジキルとハイド」という洒落にもなっている。
  • 1994年2月、初のソロアルバム『HIDE YOUR FACE』(ハイド・ユア・フェイス)をリリース。ジャケットを飾る、仮面オブジェは映画『エイリアン』などで有名なH・R・ギーガーによるデザインである。また、同年3月から4月にかけて初のソロツアーを行った。
  • 1996年、アマチュアバンドであったZEPPET STOREの楽曲や存在を世間に知らしめたいという動機からLEMONed(レモネード)を立ち上げる。5月22日に同名タイトルのオムニバスアルバムとビデオを発売しレーベルの存在を公にした。また、6月より2ndアルバム『PSYENCE』に向けての活動が始まった。
  • 1997年9月、TOSHIの脱退により、X JAPANの解散を発表する。12月31日の「THE LAST LIVE」をもってXは解散した。しかし、「2000年X再結成」をメンバーと約束していたという。(hide死去時にYOSHIKIが公表)
  • 1998年 1月1日、ラストライブの翌日にhide with Spread Beaverとして朝日新聞紙上に全面広告を掲載。シングル『ROCKET DIVE』をリリース。
  • 1998年 5月2日、朝7時30分頃にhideは自宅マンション寝室にて、ドアノブに掛けたタオルでを吊って呼吸停止した状態で、同居していた婚約者によって発見された。病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。
    • 5月5日、関係者のみ300人を集め密葬が執り行われた。
    • 5月6日通夜5月7日告別式の両日はファンの献花を受け付け、連日ファンが大挙して押し寄せた。
    • 5月7日、脱退したTOSHITAIJIを含むX JAPANメンバーをはじめ、親交のあった音楽仲間や業界関係者も列席した。告別式はテレビで生中継された。
  • 5月13日、シングル『ピンクスパイダー』、5月27日にシングル『ever free』を、生前に予定されていた通りにリリース。
  • 7月23日zilchとしての1stアルバム『3 2 1』が発表される。zilchはレイ・マクヴェイと、ポール・レイヴンというメンバーと共に結成した前衛的なロックバンド(音楽ユニット)である。
  • 10月21日、未発表曲としてシングル『HURRY GO ROUND』がリリース。これは生前に録っていた仮歌の音源を使用して、hideと共に最もレコーディング作業に深く関わっていたI.N.Aによって完成された。
  • 11月21日、アルバム『Ja,Zoo』がリリース。このアルバムは生前には未完成であったが、Spread Beaverのメンバーや、サーベルタイガー時代からの仲間であるkyoや菊地哲などの参加により完成された。
  • 1999年 5月1日、hideの死から丁度一年後に、トリビュート・アルバム『hide TRIBUTE SPIRITS』がリリースされた。hideに縁のあるミュージシャンや、hideがBOØWY時代からファンであった布袋寅泰など、そうそうたる顔触れが参加している。
  • 2000年 7月20日、記念館hide MUSEUMが故郷である神奈川県横須賀市の海岸沿いに開館した。
    • 衣裳や楽器などhideにゆかりのある品々を展示、併設の「Cafe Le PSYENCE」ではライブも行われた。
    • オープン式典にはX JAPANファンを公言し、設立にも協力したという衆議院議員小泉純一郎も出席。
    • 横須賀市内を走る湘南京急バス堀内営業所でも、hide並びにhide MUSEUMをテーマにした路線バスを2台製作・運行させている。
  • 2004年 5月2日、七回忌に当たる日には「FILM GIG」などのイベントが行われた。
  • 2005年 9月25日に記念館は閉館。当初は3年間の期間限定であったが結果的に2年延長された。閉館後も展示品などは時期を見て公開する予定である。
  • 2007年 4月1日原宿にLEMONed shopがオープン。
  • 2007年 10月17日、X JAPAN再始動。新曲『I.V.』は生前の彼の演奏を含めた楽曲となり、念願であった世界デビューへhideも同行する形となった。同22日のプロモーションビデオ撮影には彼の立ち位置に空席のマイクスタンドとエレキギターが設置され、YOSHIKIがhideの人形を持って登場するなどより『hideも一緒である』ということを強調していた。
  • 2008年 3月28日東京ドームでのX JAPANの復活ライブに特殊映像などを駆使して再現されたhideが登場した。
  • 2008年5月3日5月4日味の素スタジアムにてhide十周忌追悼ライブ(多数のバンドやミュージシャンが出演のライブ)『hide memorial summit』が開催された(hideは5月3日に出演したhide with Spread Beaverと5月4日に出演したX JAPANに、ステージに設置された巨大モニターに映った生前の映像という形で共演した)。

活動

初仕事

彼がXに加入しての初仕事はXのギター担当としてライブをすることであった。 しかし、彼がXとして最初に立った舞台はライブハウスやコンサートホールではなく、流行らないとある小さな食堂のカウンターであった。 これが「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画で行われた「やしろ食堂」ライブで、ギターを演奏しながらTOSHIと共に女性客に向かい「食え~!」と叫んでいた。

hideとINA

hideのツアーメンバーでもあるINAだが、元々はXのレコーディングに参加していたスタッフであった。 その後、hideがソロ活動を始めた際に全面的に参加するなどhideの音楽にとても深く関わっていく事になる。 ツアーでも本来は俗に言う「裏方」であった筈だが、hideが無理矢理表舞台へ引っ張り出したという話である。
しかし、単なる製作スタッフやメンバーという存在にとどまらず、hideには欠かせない存在であった。 hideは自宅に一通りの機材を揃えてデモテープを自宅で製作していたが、この作業は常にINAと二人で行っていた。 「hide」というミュージシャンを、松本秀人(≠hide)とINAの二人でプロデュースしているという感覚であったらしい。
このデモテープはデモテープとしては質の高いものであり、これは、質の高いデモテープを作る事によってレコーディングに携わる人間に対して曲の意図をより明確に伝えられるためである。また、アルバム『PSYENCE』の中の『LASSIE』は雰囲気などのために敢えてデモテープの音源をそのまま収録してある。
「INA」として世に出るようになってからも、hideは本名の「稲田君」と呼んでいた(PATAの事を「石塚君、石塚先生」とも呼んでいた)。

LEMONed

LEMONed(レモネード)はhideの設立したレーベルであり、英俗語である「LEMON(=不良品)」に過去形の「ed」を付けて、「不良品だった」という意味を込めた命名である。また同時に、大量生産されるこの時代で僅かな確率で生産された「不良品」が、似た者同士のアーティストの中で異彩を放ち、「僕たちもかつては不良品だった」と笑えるようにとhide自身語っている。ZEPPET STOREとの出会いをきっかけに立ち上げたが、音楽に限らずhideが「良い」と思ったものをサポートしていくために設立された。音楽以外には、ファッションやグッズの販売店や美容院、フォーミュラ・ニッポンチームルマンのスポンサーにもなった。毎年にはMIX LEMONed JERRYを開催、また千葉マリンスタジアムでのイベントなども行った。

zilch

zilch(ヂルチ)は、レイ・マクヴェイ (Ray McVeigh) (元PROFESSIONALS、SEX PISTOLSのサポートなど)、ポール・レイヴン (Paul Raven) (元Killing Joke、元PRONG、ベーシスト)というメンバーと共に結成したバンド(ユニット)である。 当初のメンバーはhideを含めた三人とされているが、様々なミュージシャンを加えるなど、敢えてメンバーの固定化をしない柔軟な体制でもあった。
ロックンロールパンクヘヴィメタルグランジオルタナティブインダストリアルといった、それまでのロックを消化した新しい形の非常に前衛的なロックを目指していた。 完成されたアルバム『3 2 1』は、「邦楽」と「洋楽」という垣根を超えた、非アメリカ人によるアメリカへ向けての挑戦状であった。
「hide」に求められる音楽と、hide自身がやりたいと望む音楽とのギャップを取り除き、hideがやりたい音楽を、純粋に良いと思う音楽を作るという目的もあった。
hideがいなくなった後にリリースされた『3 2 1』のブックレットには、hideへ向けたマクヴェイとレイヴンのメッセージが寄せられた。
アルバムリリース後にツアーなども構想されており、真夏のロック・フェスティバルである「サマーソニック」の前身フェス「beautiful monsters tour」ではマリリン・マンソンとの共演も予定されていた。
残されたメンバーや様々なミュージシャンによって活動は継続されていたが、2007年10月にポール・レイヴンが死去したため、今後zilch名義での楽曲製作が行われるかは不透明である。

逸話

  • 難病を患ったファンである少女、貴志真由子の「hideに会いたい」という願いを、支援団体のメイク・ア・ウィッシュを通じて受けたhideは1995年12月31日、Xの東京ドームライブで少女と会い、ライブの打ち上げにも招待して少女を友達だと紹介した。その後も手紙を送ったり、お見舞いに訪れたりという交流を持ち、少女を励ますことになった。翌年、治療のために骨髄移植手術を受けた少女が手術後の拒絶反応のため心臓が溜まり危篤状態となり、彼女の母親から「最期を看取って欲しい」と連絡を受けた時にはその日の予定を全てキャンセルし、病院へ駆けつけて数時間の間励まし続けた。結果、そのに危篤状態を抜け出し徐々に病状は良くなって数ヵ月後には退院する事もできた。その後にhideは「できることをするだけ」とあくまで個人的に骨髄バンクに登録をしたが、その際に所属事務所が独断で急遽記者会見をセッティングしてしまい、実弟でありhideのパーソナルマネージャーを務めていた松本裕士は、そのことを一切知らなかったと後に出版した追憶本「兄弟」の中で明かしている。記者会見自体は行われたが、その後にhideは「これじゃあ売名行為じゃねえか!!」と言って彼を殴り飛ばした(hide自身ももちろんその事は知らなかった)。慈善活動をひけらかすような行動を嫌っての事であったが、結果的にはこの報道が骨髄バンクの認知度向上に大きく貢献する事となった。
  • Xの「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」というフレーズを考案。これがヴィジュアル系という言葉を生み出したのはhideと言われる所以になる。また、hideが音楽界に与えた視覚面や音楽面の影響は多大で、音楽ライター市川哲史などからヴィジュアル系はhideから始まってhideで終わったとも言われている。
  • ファン想いであることが有名で、大物になるほど回避しがちなTV出演について「地方でライヴに来られないファンの為にも出る」と積極的であったり、「チケット代も安くないのに、更に高いお金を遣わせるのはいけない」と、ソロ活動についての関連グッズは全て5,000円以下であったという。
  • hideが初めて手にしたギターは新古品ギブソンレスポール(ナチュラルカラーのレスポールデラックスモデル)であった。祖母に無理だと思って頼んでおいたら、在日米軍横須賀基地内に出入りが出来たのでフリーマーケットで買ってきてくれたという。当時は現在以上に高級品でロック好きには憧れの的であったために、隣の学校や、「友達の友達」という人までが自宅にギターを見に来るという状況になった。だがそのギターは、PATA曰く「金がなかった頃に売っちゃたのかもしれない」とのこと。そのため、記念すべきhideの最初のギターの行方は誰にもわからない。
  • hideの勤めていた美容院(ジャガーが経営)の常連にヤクザの娘がいて、その常連が行方不明になったとき、その常連の日記の最後に「松本秀人 サーベルタイガー」と書いてあったため、その関連性を疑われ、に乗せられる。富士の樹海まで連れて行かれ、自白するよう強要されたが、hideは「分からない。」と主張し続け、なんとか解放してもらう。
  • サーベルタイガー時代、当時デッド・ワイヤーのドラム・TETSUを迎えようと電話したところ、TETSUは留守で母親が出てきて、伝言を頼んだ。しかし、本名を名乗っていたため、TETSUには「松本さんという方から、一緒にバンドをやりませんか?」としか伝わらず、無視することに。しかし、サーベルタイガーに加入するといううわさがデッド・ワイヤーに広まってしまい、TETSUとTAIJIが大喧嘩。結果、引っ込みのつかなくなったTETSUがサーベルタイガーに加入したが、これが元で一時hideとTAIJIの仲は気まずいものになってしまった。
  • また、KYOをサーベルタイガーのメンバーに加えようとしたとき、待ち合わせ場所にKYOがライブ並の格好でhide曰く、「モーセの十戒のごとく」人が避ける様を見て、「他人の振りして逃げようかと思った」と言っている。ただ、KYOも「お前も人の事言えなかったろうが」と返している。
  • サーベルタイガー解散の理由は、REMが私用でライブをすっぽがし、裏でローディーがギターを弾いてごまかすという事件があり、これに疑問を持ったTETSUが脱退を表明、それを聞いたhide・KYO・TOKIも「今のメンバー以外にはありえない」として解散を決意した。
  • 解散後も、hide・KYO・TETSUはお互いに自分のバンドを持っているにもかかわらず、「元サーベルタイガーの○○です」と、言っていた。
  • hideがサーベルタイガーを解散させ、ミュージシャンを辞める決意をしたとき、親交のあったミュージシャンにその事を電話で話した。しかし、サーベルタイガー時代からhideの活躍ぶりは有名で中にはバンドへの誘いもあったが全部断ってきた。その最後にYOSHIKIに掛けた際、YOSHIKIに「Xに入らない?」と誘われた際、hideは、「ちょっと考えさせて。」と言った。翌日、都内にある居酒屋でそのことを承諾すると、それまでそばでおとなしくしていたTOSHIとTAIJIが歓喜をあげ、酒を飲みまくり挙句の果てには組体操まで行うことになったという。
  • 1992年ごろ、Xの全盛期にTOSHIが単独で持っていたラジオ番組「オールナイトニッポン」にYOSHIKIがゲスト出演した回に番組終盤突如乱入。YOSHIKIが本番中に火を噴こうとする、さらに酒を追加する、そこらじゅうのボタンをいじってわけのわからないSEが鳴るなど既に放送事故スレスレであったが、HIDEの乱入で更に番組は崩壊。完全に泥酔状態で呂律も回らず既に泥酔状態のYOSHIKIと共に進行を妨げ、終始かつての飲みにTOSHIが来なかった事にこだわり続けていた(TOSHI曰く出入り禁止を喰らったとのこと)。そして、たまたまおはようナイスデイの取材に来ていた東海林のり子の実況と共に平和な深夜番組を破壊しつくした。

突然の死去

1998年 5月1日、hideはSpread Beaverのメンバーと共にフジテレビ音楽番組「ロケットパンチ!」の収録を行う。 その打ち上げ後、日付をまたいで更に飲み、泥酔したhideは実弟でマネージャーの松本裕士が運転する車で自宅マンションまで送られた。
5月2日朝7時30分頃、hideは自宅マンション寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見された。 その後、病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。 当日午後3時頃から、一斉に「元X JAPANのギタリストhideが死亡、警視庁は自殺と断定」と速報で報道された。
警視庁が自殺と断定した根拠は、ドアノブにタオルを巻きつけて首を吊った状態で発見されたという状況証拠である。 そのためニュースワイドショーでは自殺したものと扱われた。
しかし、当初から事故死だったのではないかという見方が出ていた。 遺書がなかった事、死去前に自殺するような印象を残していなかった事、直前にも自殺を感じさせる兆候はなかったと証言されている事、生前のインタビュー、死去の数日前にhideが都内に建てるスタジオの土地の仮契約をしていた事、などといった理由がこれに関連する。『ピンクスパイダー』の一連の歌詞について「自殺」と関連付けられる説もあるが、これについてはhide自身が雑誌等で「『ピンクスパイダー』の歌詞は『世の中そんなに甘くはない』という挫折と失敗を表した歌。『若いうちは後先考えず突き進め』というメッセージを込めた『ROCKET DIVE』、『人間何度でもやり直せる』という再生・再起の意味を込めた『ever free』と合わせて3部作の1つとして聴いて欲しい」と語るなど、を意図したものとは位置付けられていない。
後に発表された松本裕士の見解は、「ギタリストである彼は、職業柄肩こりが激しく眠れない事もあったほどで、タオルなどでを吊ってマッサージしていたという。これは、スポーツ選手などがよくやる牽引(タオルを首にかけて引っ張る方法)である。死去直前の5月2日未明まで酒を飲んでおり泥酔状態でそれをしてしまった為、そのまま眠ってしまい、結果事故死した」というものである。事実、彼の亡くなる数時間前に撮影された「ロケットパンチ」でのインタビュー中、(ギターのストラップのあたる左肩が痛いのか)特に左肩を揉むしぐさを頻繁にしている。 警察の発表した「自殺」に対して、hideの死去は主にファンの間では「不慮の事故死」と見られている。
しかし、『HURRY GO ROUND』の歌詞や、ラジオ番組オールナイトニッポンR」での発言が意味深長で自殺に関連するのではないかという見方や、はたまた事故ではなく自殺だと断言している人間の存在までもあり、様々な見解がある。警察は雑誌取材などに「『牽引』にしては首の輪が小さく、むしろ死を意図するものであった。また、『バンドや音楽活動で悩み酒量が増えていた』と聞いており、突発的に死に踏み切ったのだと思われる」と答えている。
なお、YOSHIKIは「彼は自殺するような人間ではない」と発言している。
死去後に時間が経過してからは、テレビなどでhideを取り上げる際には「自殺」、「事故死」という言葉を使わず、「急死」または「急逝」とされている。その理由は「自殺、事故どちらも断定するには曖昧であるから」とされる。

葬儀までの5日間

hideの遺体5月3日東京都中央区築地築地本願寺に安置された。夕方、YOSHIKIがロサンゼルスから帰国し成田空港から築地本願寺に直行、遺体と対面をした。YOSHIKIは最初これを「悪い冗談じゃないか」とも思っていたが、飛行機の中での正式な報道を見た瞬間に現実であることを受け入れ号泣したという。
翌日5月4日、週が明け本格的にワイドショーなどで大々的に取り上げられる。築地本願寺にファンが集まり始め、その数は千人規模となる。夕方にYOSHIKIがの正面に姿を現し、報道陣を前にメッセージを発表した。
5月5日には、関係者のみ300人を集め密葬が執り行われた。その間もファンは絶え間無く押し寄せ、その数は数千人にも膨れ上がった。また、疲労と心労が重なったファンが次々と倒れ、救急車で病院に搬送された。さらに、「hideが自殺」と報道されていたためにファンの後追い自殺が東京都調布市千葉市、築地本願寺境内で相次いだ。そのため、翌日には警視庁の要請で元X JAPANのメンバーが記者会見を開き、自殺を思いとどまるように訴えた。このような後追い自殺を防ぐためか、後に状況証拠から自殺と考えられるような芸能人が現れても極力「原因を調査中」などとして「自殺」という報道を避けるようになった(2007年坂井泉水の急死など)。
5月6日通夜5月7日の告別式の両日はファンの献花を受け付け、連日ファンが大挙して押し寄せた。中には単なる通行人や野次馬もいたとされるが、通夜、告別式に5万人近くが集まったとされ、隅田川沿いに2~3kmのファンの列が出来たことも報道されていた。「ファンは列に並ぶ際、パニックになるような事も無く、むしろ近隣住民の迷惑にならないようにゴミ拾いまで進んで行う素行の良さであった」と葬儀翌日の朝日新聞天声人語で語られているが、実際は各所で将棋倒しなどの事故、警察の対応の悪さによるパニックも起きている。これまで有名人の告別式などが催されたことがあるが、美空ひばり尾崎豊の告別式に訪れた人の数を超え、これほどまでファンが集まったのは戦後の日本では例が無い。
5月7日の告別式はテレビで生中継された。告別式には、脱退したTOSHITAIJIを含む元X JAPANメンバーをはじめ、親交のあった音楽仲間や業界関係者が列席した。築地本願寺開山以来のグランドピアノ持ち込みによるYOSHIKIの伴奏で、TOSHIがX JAPANの『Forever Love』を歌った。hideの『Good Bye』が流される中、出棺される。道路に交通規制が掛けられ一般車両を完全に止めた状態であったが、ファンが大挙して道路に広がり霊柩車を追いかける者まで現れる非常事態となり、築地本願寺周辺がパニック状態になった。
その後、hideは渋谷区代々幡斎場荼毘に付された。法名「秀徳院釋慈音」(しゅうとくいん しゃくじおん)。遺骨四十九日法要をもって、神奈川県三浦市の三浦霊園に納骨され、一部はロサンゼルスの海に当時のzilchのメンバーや松本裕士によって散骨されている。
hideの墓には大きく『hide』の文字が書かれており、今でもファンによる多くの献花が飾られている。また、墓石には愛用のギターを模したレリーフの隣に事実上遺作となった『HURRY GO ROUND』の歌詞と両親から息子へのメッセージが刻まれているほか、記帳用のノートも設置されている。なお、墓にはファンによる墓地の荒廃を防ぐために松本家からの注意書きも設置されており、献花は包装をはがすこと、線香を束であげない、水、酒などの液体を墓石にかけないといったルールが記されている。

作品

シングル

  1. EYES LOVE YOU(1993年8月5日)
  1. 50%&50%(1993年8月5日)
  1. DICE(1994年1月21日)
  1. TELL ME(1994年3月24日)
  1. MISERY(1996年6月24日)
  1. Beauty&Stupid(1996年8月12日)
  1. Hi-Ho/GOOD BYE(1996年12月18日)
  1. ROCKET DIVE(1998年1月28日)
  1. ピンク スパイダー(1998年5月13日)
  1. ever free(1998年5月27日)
  1. HURRY GO ROUND(1998年10月21日)
  1. TELL ME(2000年1月19日)
  1. In Motion(2002年7月10日)
  1. : 「Junk story」はシングルとしてはリリースされず(In Motionと同時期に作られていた)

アルバム

  1. HIDE YOUR FACE (1994年2月23日)
  2. PSYENCE (1996年9月2日)
  3. Ja,Zoo (1998年11月21日)

ベストアルバム

  1. hide BEST ~PSYCHOMMUNITY~(ベストアルバム)(2000年3月2日)
  2. : hideが作った3枚のアルバムの中から選曲したベスト。
  3. hide SINGLES ~Junk Story~(シングルス)(2002年7月24日)
  4. : hideがリリースした全てのシングルに加え、未発表曲「Junk Story」を加えたシングルコレクション。HDCD対応
  5. KING OF PSYBORG ROCK STAR(ベストアルバム)(2004年4月28日)
  6. : hideの7回忌を記念し、hideが生前にコンセプトとしていた「PSYBORG ROCK」を中心に収録されたベストアルバム。HDCD対応
  7. hide PERFECT SINGLE BOX(コンプリートシングルBOX)(2005年9月21日)
  8. : シリアルナンバー入り完全受注生産商品。hide歴代のシングル13枚と、2005年9月25日で閉館したhide MUSEUMメモリアルDVDを一箱におさめた。
  9. hide SINGLES+PSYBORG ROCK iTunes Special!! (2006年2月8日)
  10. : hideのiTunes Store楽曲配信第一弾として製作されたセレクション。全てのシングルA面と死後に発表された「In Motion」「Junk Story」の2曲に入手困難な状態が続いていたX時代のセルフカヴァー「MISCAST」に「DOUBT(MIXED LEMONed JELLY MIX)」「FLAME(PSYENCE FACTION version)」の2曲のリミックスを追加した全20曲。

zilch

1. 3・2・1 (1998年7月23日※)
※アルバム自体は1996年当時にレコーディングされ既に完成していたが、契約上発売までにかなりの歳月を要した。
2. SKYJIN (2001年9月27日)
3・2・1を製作した後に、hideを含むメンバー間で練られていた構想を形にしたアルバム。

その他

  • FLOWERS (1994年)
  • : ヴィジュアル系の先駆者的存在であるDER ZIBETのISSAY(YOSHIKIに招かれ、エクスタシーサミットにも出演したことがある)の邦楽カヴァーアルバム。hideは二曲目の「いとしのマックス」にギターで参加。編曲&プロデュースはD.I.E.こと乃澤大二郎。
  • 少年ナイフUltra Mix(リミックスアルバム)
  • : 世界的に有名な日本のガールズバンドでhideとも親交があった少年ナイフのリミックスをhideが担当(5曲目の「タワー・オブ・ザ・サン」)。
  • 96/69(リミックスアルバム)
  • : 小山田圭吾ことCORNELIUSのアルバム「69/96」のリミックスアルバム。9曲目「HEAVY METAL THUNDER」にて参加。
  • tune-up(リミックスアルバム)(1997年6月21日)
  • : hideの楽曲を7組のチームがリミックスしたもの。
  • BasTardEYES(リミックスアルバム)(1999年3月3日)
  • : zilchやhideと交流のあったアーティストらがリミックスしたzilchのアルバム。CDのほか、初回限定には、ビデオが付いていた。
  • hide TRIBUTE SPIRITS(トリビュートアルバム)(1999年5月1日)
  • : 後にDope HEADzとなるI.N.A、HEATH、PATAによるX「CELEBRATION」のカヴァーには、hideが生前にレコーディングしてI.N.AがMacに保存していたヴォーカル音源を使っている。現時点でhideバージョンの「CELEBRATION」はこのアルバムのみに収録。
  • Psy-clone ~hide electronic remixes~(リミックス・アルバム)(2002年5月22日)
  • : hideの楽曲をトランスや、テクノハウスなどにリミックス。

タイアップ

タイアップのあった楽曲
  • TELL ME - 「エースコックスーパーカップ」CF
  • MISERY - 「花王サクセス」CF(当時「サクセス」という掛け声もhideの声だった)
  • Hi-Ho - テレビ朝日系「サンデージャングル」オープニング
  • GOOD BYE - テレビ朝日系「サンデージャングル」エンディング
  • ROCKET DIVE - 「ミズノ」CF、「テレビ東京系 アニメ「AWOL」オープニング
  • ピンク スパイダー - 札幌テレビ日本テレビ系「号外!!爆笑大問題」エンディング
  • HURRY GO ROUND - 日本テレビ系「スーパーテレビ情報最前線」エンディング
  • In Motion - TBS系「世界・ふしぎ発見!」エンディング

ツアーメンバー

ツアーメンバーの名前、パートなどはほぼすべて当時の表記である。
  • hide FIRST SOLO TOUR '94 『HIDE OUR PSYCHOMMUNITY ~hideの部屋へようこそ~』
    • hide (VOCAL, GUITAR)
    • RAN (GUITAR) (TWINZER)
    • PATA (GUITAR) (X JAPAN)
    • CHIROLYN (BASS) (DEBONAIR)
    • JOE (DRUMS) (ZIGGY)
    • D.I.E (KEYBORD)
    • I.N.A (MANIPULATOR & PERCUSSION)
  • hide solo tour 1996 『PSYENCE A GO GO』
    • hide (VOCAL & GUITAR)
    • PATA (GUITAR) (X JAPAN)
    • KIYOSHI (GUITAR) (media youth)
    • CHIROLYN (BASS) (DEBONAIR)
    • JOE (DRUMS) (ZIGGY)
    • D.I.E. (KEYBORD)
    • I.N.A. (COMPUTER & PERCUSSION)
  • hide with Spread Beaver appear!! 『1998 TRIBAL Ja,Zoo』
    • hide (GTR & Vo) (ex. X JAPAN)
    • I.N.A. (Computer & Percussion)
    • KIYOSHI (GTR) (MEDIA YOUTH)
    • CHIROLYN (B) (DEBONAIR)
    • JOE (Dr) (ZIGGY)
    • D.I.E. (Key)
    • KAZ (GTR) (OBLIVION DUST)
    • PATA (GTR) (ex. X JAPAN) ※助っ人怪人

使用機材

  • hideはX加入以前のアマチュア時代から長年フェルナンデス(Burny)製のモッキンバードモデル (MG-X) を愛用していた。様々なデザインの物が多数存在するが、代表的なものを挙げるとまずhide自らがマーカーで描いたサイケデリックなデザインのフロントにディマジオ、リアにEMGのピックアップを搭載した通称ペイント。これにはボディ材にモンキーポッドが使用され(ネックはメイプル)粘りのある中音域が気に入っていたようだ。次に彼所有の1959年製ギブソンレスポールのスペックを盛り込んだ通称チェリーサンバースト&レモンドロップ。この2本はレスポールと同じメイプルトップマホガニーバックボディ、マホガニーネックとし、ピックアップは彼のために開発されたフェルナンデスVH-401にサスティナーを搭載したもの。この仕様は少々の変更はあったが彼がこの世を去るまでのMG-Xの最終型となり、それ以降の「イエローハート」、「サイエンス」、「基盤」(全て通称)なども同仕様となっている。彼の使用するギターのレプリカモデル(値段にして8万円から45万円のもの)がフェルナンデス社から発売(一部を除き生産終了)されている。アーティストモデルとしては彼の生前、死後を問わず過去に例がないほどの驚異的な売れ行きを見せ、ここからもhideというギタリストの人気の高さと影響力を窺い知る事が出来る。
  • 主にレコーディングで使用していたギターには一番のメインとされたギブソン1959年製造のレスポールスタンダードや、フェルナンデスの通称「レモンドロップ」MGモデル、通称「くじら」モデルなどがある。また、この59年製のレスポールはPATAの所有する59年製レスポールとは型番が数番違いであり、全くの同一またはそれに近い時期に作られたのではないかとの事。
  • エフェクターボスのOD-1、Rocktronのランページ、ヴォックスのV-748ワウ、DigitechのWhammy等。
  • アンプはENGL、マーシャル等。
  • ソロ活動時は、生演奏をコンピュータに取り込み微調整や生では不可能な音を作る手法を採るPSYBORG ROCK(←hide命名)を基本に作曲。
  • アルバム「Ja,Zoo」のレコーディングでは5種6台のアンプを同時に鳴らし各々の音量バランスで様々な音を作り出す方法を採用。

「くじら」と「HR(Hide Rebirth)」

PATA所有のフェルナンデス製エクスプローラー型モデル(希少なコリーナをネック&ボディに使用、ピックアップはトムホームズの453Limited)を弾き気に入ったhideはにそれと全く同じ仕様で形のみ同社H(輸出名Vertigo)シェイプのモデルをオーダー、「くじら」と名付け「Ja,Zoo」のレコーディングで使用。新アルバムのツアーの為に「くじら」といままでの愛器「MG-X」を融合させた新しい「hideモデル」をフェルナンデスに提案し、ニューシェイプのモデルが完成。しかし最後のカラーを決める打ち合わせ予定日の前日、hideはこの世を去った。それから3年経った2001年5月、当時作られたプロトタイプ(hide MUSEUMに展示されていた)をもとに限定300本、コリーナを特性の似たホンジュラスマホガニーへ変更し「HR-195」として発売(カラーはナチュラルのみ)され、また翌2002年8月にはその廉価版「HR-85」も500本限定で発売(カラーはナチュラルとブラックの2種)された。hideのためのシェイプ「HR」は世界に800数本しか存在しない貴重なギターとなった。

関連書籍

  • 遠藤 允「hide「がんばんだぞ」―優しさと、愛と勇気をありがとう」小学館
  • 本郷 陽二 「音楽のヒーローたち hide伝説」
  • 「限界破裂本」シンコーミュージック
  • 「hideDAYS」宝島社

関連項目

  • X JAPAN
    • YOSHIKI
    • PATA
    • TOSHI
    • HEATH
    • TAIJI
  • I.N.A
  • Zilch
  • LUNA SEA
    • RYUICHI
    • SUGIZO
    • INORAN
    • J
    • 真矢
  • BUCK-TICK
  • GLAY
    • TERU
    • TAKURO
    • HISASHI
  • ZI:KILL
  • T.M.Revolution
  • ZEPPET STORE
  • 布袋寅泰
  • 松川敏也
  • 今井寿
  • 小泉純一郎
  • フェルナンデス (楽器メーカー)
  • 横須賀サーベルタイガー
  • ねこぢる

外部リンク

  • hide-city hideファンクラブ公式サイト
  • zilch zilch公式サイト
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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