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ゲド戦記

ゲド戦記
ゲド戦記(ゲドせんき、Earthsea)は、アーシュラ・K・ル=グウィンによって英語で書かれ、1968年から2001年にかけて出版されたファンタジー小説。

本書の構成

訳者は清水真砂子。邦訳は岩波書店から出版。岩波少年文庫、ハードカバー、内容は変わらないが、大人向けにデザインを変えた物語コレクション、映画化の際に発行したソフトカバーの4ヴァージョンが発売されている。「影との戦い」のみ、同時代ライブラリー(現在は終刊)から発売されたことがある。
  • 「影との戦い」A Wizard of Earthsea(原作1968年、邦訳1976年)
  • 「こわれた腕環」The Tombs of Atuan(原作1971年、邦訳1976年)
  • 「さいはての島へ」The Farthest Shore(原作1972年、邦訳1977年)
  • 「帰還 -ゲド戦記最後の書-」Tehanu, The Last Book of Earthsea(原作1990年、邦訳1993年)
  • 「アースシーの風」The Other Wind(原作2001年、邦訳2003年)
  • 「ゲド戦記外伝」Tales from Earthsea(原作2001年、邦訳2004年)
2007年現在、日本語版の発行部数は200万部。

概要

この世で最初の言葉を話したセゴイによって海中から持ち上げられ創られたと伝えられる、太古の言葉が魔力を発揮する多島世界(アーキペラゴ)・アースシーを舞台とした魔法使いゲドの物語。
アースシーのうち、主にハード語圏では森羅万象に、神聖文字で表記される「真(まこと)の名前」が存在し、それを知る者はそれを従わせることができる。人は己の真の名をみだりに知られぬように、通り名で呼び合う。主人公を例に採れば、ゲドが真の名で、ハイタカが通り名である。
※下記では、「真の名(通り名)」と表記する。
なお邦題のシリーズ名は「ゲド戦記」となっているが、ゲドが主人公と呼べるのは実質的に第1巻のみである。 また戦記とあるが、本作では指輪物語のような戦争の描写はあまりなく、代わりに自己の許容や葛藤、心理的成長といった、内面的なテーマが主題として扱われている。 実際に、原作でのシリーズ名は「Earthsea」(アースシー、地海)であり、これらに関して、「ゲド戦記」は名前としては良いが、訳題としては適当でない、という意見がある。

影との戦い

ゲド(ハイタカ)の少年期から青年期の物語。ゲドは才気溢れる少年だったが、ライバルよりも自分が優れていることを証明しようとして、ロークの学院で禁止されていた術を使い、死者の霊と共に「影」をも呼び出してしまう。ゲドはその影に脅かされ続けるが、師アイハル(オジオン)の助言により自ら影と対峙することを選択する。

こわれた腕環

カルガド帝国が舞台。アチュアン神殿の巫女テナー(アルハ)が中心の物語。名前(自己)を奪われ、地下の神殿の闇の中で育てられてきたテナー。しかしそこに、二つに割られ奪われた「エレス・アクベの腕輪」を本来あるべき場所に戻し、世界の均衡を回復しようとする魔法使いゲドが現れる。少女の自己の回復と魂の解放の物語でもあり、ゲドとテナーの信頼、そして愛情の物語としても読める。

さいはての島へ

大賢人となったゲドが登場する。世界の均衡が崩れて魔法使いが次々と力を失う中、エンラッドから急を知らせて来た若き王子レバンネン(アレン)と共にその秩序回復のため、世界の果てまで旅をする。

帰還-ゲド戦記最後の書-

ゲド壮年期の物語である。ゲドは先の旅で全ての力を失い、大賢人の地位を自ら降りて故郷の島へ帰ってきた。そこで未亡人となったテナー(ゴハ)との生活が始まり、さらに親に焼き殺されかけた所を危うく救われた少女テハヌー(テルー)が加わる。ところがかつて大賢人だったゲドと、元巫女のテナーの2人は故郷の一般の魔法使いにとっては目障りでしかなく、3人の「弱き者」たちを容赦なく悪意に満ちた暴力が襲う。魔法の力を失った後に見えて来るアースシーの世界を覆う価値観とは、一体何なのか。それを作者自らが問いかけている作品とも言える。
第3巻と4巻の間には発表までに長い間隔があり、フェミニズム色の強い4巻に戸惑う読者も少なくないようである。また、5巻以降は「9.11」(アメリカ同時多発テロ)後の混沌としたアメリカの世界観が如実に表れている。

アースシーの風

かつてゲドと共に旅をし、アースシーの王となったレバンネン(アレン)や、ゲドの妻となったテナー、その二人の養女となったテハヌー(テルー)が物語の核となっていく。これまで正義とされていた「真の名」という魔法の原理に対し、竜や少数派である異教徒によって批判が行われ、これまで作り上げられてきたアースシーの世界観を一から壊していくような物語構造となっている。女の大賢人の可能性や世界の果てにある理想郷、また死生観への再考、長年敵対していた異教徒との和解も暗示。テハヌーと竜との関わりも明らかにされ、確実に物語の中心はゲドからレバンネン、テハヌーの世代へと移り変わってきている。
原題であるThe Other Windに対し、邦題は「新しい風」の予定だったが「新しいではない」との翻訳者および作者本人の意見を受け現在のものとなった。

ゲド戦記外伝

『アースシーの風』以前に発表された中短編5作品と、著者によるアースシー世界についての解説を収録。特に「トンボ」は『アースシーの風』と深いかかわりがあり、先に書かれたこちらを読むと理解が早い。
収録作品
「カワウソ」
ロークの学院開設の功労者にして、初代守りの長、メドラ(カワウソ/アジサシ)の一生を通じて、学院の黎明期を描く。
「ダークローズとダイヤモンド」
エシーリ(ダイヤモンド)とローズの恋物語(ローズの方は真の名が明かされない)。
「地の骨」
アイハル(ダンマリ/オジオン)がヘレス(ダルス)に師事した時と、二人が協力してゴントの大地震を鎮めた時の顛末。
「湿原で」
ロークから逃げ出した魔法使いイリオス(オタク)と、彼を匿った未亡人エマー(メグミ)、そしてイリオスを追ってきた大賢人ゲドの物語。
「トンボ」
『アースシーの風』の重要人物オーム・アイリアン(トンボ)の幼年期と青春時代、ロークへの旅と呼び出しの長達との対立、竜への覚醒までを描く。
アースシー解説
アースシーの世界観について、文化や歴史、伝説などの、作者による解説。

登場人物

ゲドハイタカ 原書ではSparrowhawk
アースシーの魔法使いで大賢人。最後の大賢人で、ゲドが退いた後、大賢人は選出されていない。また竜と交渉出来る者、竜王でもある。若い頃、「影」を呼び出し顔に傷を負う。アレンと共に最果ての地に赴き世界の均衡を取り戻すが、魔法の力を失う。
アイハル(オジオン)
ゲドの故郷である島、ゴントの魔法使い。山羊飼いだったハイタカに魔法使いの才能を見出し、彼を魔法学院があるローク島に送り出す。
ヘレス
オジオンの師匠。その昔、ゴントを襲った大地震をオジオンと共に鎮めた。オジオンとゲド、テナー、テハヌーの家の持ち主。
テナー(アルハ、ゴハ)
かつてカルガド帝国においてアチュアンの墓地の巫女をしていた女。ハイタカの活躍により、巫女アルハからテナーに戻る。 後にオジオンの庇護を受け、テルーを引き取る。「腕環のテナー」として、真の名を明らかにしている数少ない存在。
テハヌー(テルー)
幼い頃、両親からの虐待により顔の左半分がケロイドになってしまった少女。竜の化身でカレシンの娘と言われる。
レバンネン(アレン)
エンラッドの王子。ゲドと共に最果ての地に赴き、生きて死後の世界から帰り、世界を統治する王となる。
カレシン
最長老にして竜族の長を務める竜。崩れてしまった世界の均衡を再び正してもらう代わりに、ゲド達を援助する。
アイリアン(トンボ)
オーム・アイリアンとも。テハヌーと同じく、人間の親を持ちながら竜である存在。自分の存在を探求していく過程で、女人禁制が徹底されているロークの学院に例外的に招かれ、己の真の姿を見出す。例外的に真の名を2つ持つ。
イエボー
人間の領地に侵入して住み着き、子供を育てていた竜。普段はペンダーにいる。度々人間の船や居住地を襲っていたが、ゲドに真の名を見破られ、調伏される。人の姿に化けることができるという。

アースシーの世界

ハーブナー
アースシーにおいて、人間が居住しているものとしては最大の島。
ハーブナー港
アースシーを統治する王が居を構えるといわれる都市。
ローク
魔法使いを養成する学院が存在する島。空位が続いているアースシーの王に代わって、秩序を維持するものとしてアースシーに強い影響力を与えている。アースシー世界の中心。
学院
魔法を正しい方向に導くために設立された学校。アースシーにおける魔法使いとは、学院卒業者のことを指す、云わば学位。「魔法使い」の称号を受けていない者は「まじない師」でしかない。

用語

真の名
アースシーにおいて、すべてのものを支配できるもの。真の名を明かされれば相手を操ることができる。主に魔法使いによってつけられ、また新しくつけかえることによって生まれ変わることもできる。相手が真の名を知っている場合、自分は術を使えない。魔法使いには真の名を探り出す術をもっているものもあり、ゲドは生まれつき魔法使いの素質を持っていたためカラスノエンドウの妹の名やアレン(レバンネン)の名を知ることができた。
魔法
魔法使いの類によってかけられる。魔法をかけるにはまず相手(または物)の真の名を知らなければならない。その上で神聖文字を唱える。すると相手を操り、更にはそのものの本質を変える事さえ出来る。しかし本質を変える事は宇宙の規律を一時的にせよ操作する事でもあり、濫用は厳しく戒められている。

映像化作品

TVシリーズ版

  • 米SCI FI Channelが、アーシュラ・K・ル・グウィン原作「ゲド戦記」1巻と2巻のストーリーを「Earthsea」のタイトルでTV化(ミニシリーズ)。2004年秋に放送された。ゲドの師、オジオン役にベテラン黒人俳優ダニー・グローヴァーが充てられている。外国では既にDVD化。日本でも「ゲド~戦いのはじまり~」として、DVDが2006年8月6日に発売される。日活発売。

アニメ映画版

スタジオジブリ制作、宮崎吾朗宮崎駿の長男)監督・脚本。東宝配給で2006年7月29日より、長編アニメーション映画として劇場公開された。なお、この映画の副題として用いられている"Tales from Earthsea"は、原作「ゲド戦記外伝」の原題。
第3巻を中心に、他の巻の要素と宮崎駿の短編「シュナの旅」の要素を加えてストーリーを編集した、独自の脚本である。原作者の公式コメントで、原作者の意に反する内容だったことが明らかになり、論議を呼んでいる。

関連事項

  • 言霊
  • 忌み名

脚注

外部リンク

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
Text is available under GNU Free Documentation License.
ご利用上の注意

ゲド戦記 (映画)

ゲド戦記 (映画)
ゲド戦記』(ゲドせんき、英題:Tales from Earthsea)は、アーシュラ・K・ル=グウィンの小説『ゲド戦記』の主に第3巻の「さいはての島へ」を原作とし、宮崎駿の絵物語『シュナの旅』を原案とした長編アニメーション映画スタジオジブリ制作。東宝配給で2006年7月29日に劇場公開。宮崎吾朗監督・脚本の独自解釈によるストーリーとなっている。

登場人物

原作『ゲド戦記』ではなく、絵物語『シュナの旅』がキャラクターイメージの元となっている。宮崎吾朗監督は「『シュナの旅』の登場人物に少しずつアレンジを加えていって…『ゲド戦記』の世界に近づいた感じです」と述べている。
( )内はその人物の「真(まこと)の名」。作中の世界(アースシー)では、人に真の名を教えることはその者の掌中に己の魂を委ねることと同じで、通常、真の名を隠す。、実名敬避俗も参照。
アレン(レバンネン)(声:岡田准一
エンラッドの王子。17歳。真面目すぎる性格のために世の中の暗黒についてまで心を悩ませるうち、本来は心の“光”だったアレンの分身が“影”となってアレンの元を去ってしまう。心の均衡を失ったアレンは衝動的に父王を殺害、国を捨てて失踪。逃走中にハイタカに命を救われ、ハイタカと共に世界に異変を起こしている災いの根源を探す旅に同行する。
テルー(テハヌー)(声:手嶌葵
顔に火傷の痕がある少女。テナーと共に作物や羊を育てて暮らしているが、テナー以外の人物(特に自分の命を大切にしない人間)には容易に心を開かず、両親に虐待された末に捨てられた辛い過去を持つ。心に闇を持ち折に触れて自暴自棄になるアレンを嫌っていたが、彼もまた自分のように心に傷を負っていると知ると段々アレンに歩み寄るようになっていった。清廉な心を持つハイタカには出会ってからすぐに信用し、彼のことを「タカ」と呼ぶ。
ハイタカ(ゲド)(声:菅原文太
アースシーの大賢人。世界の均衡が崩れつつある事を察知し、アレンと共に災いの源を探る旅に出る。頬に傷がある。世界の均衡を崩さぬよう、みだりに魔法を使ってはならないと考えている。
テナー(声:風吹ジュン
ハイタカの昔なじみで、彼のよき理解者。「ゲド」という彼の真の名を知っている。親に捨てられたテルーを女手一つで育てている。昔、カルガド帝国にあるアチュアンの墓地の巫女をしていた。このことは台詞のみで語られている。映画では髪は金色だが、原作では髪は黒い。
クモ(声:田中裕子
永遠の命を得るために、禁断の生死両界を分かつ扉を開いた魔法使い。かつて魔法を濫用したが、ゲドに阻止されたため、彼に復讐する機会をうかがっている。男性という設定だが、声優とその外見から女性的に見えるキャラクターとなっている。
なお、公式パンフレットによれば、かつて「ハブナーのクモ」と呼ばれており、人が金を払いさえすればパルンの『知恵の書』を使い、望み通りの人間をあの世から呼び出していた、との事。師の魂を呼び出され憤った若き日のハイタカは、泣きわめいて抵抗するクモを無理矢理黄泉の国まで連れて行き、恐怖の底に突き落とした。その後クモは、改心を誓って西へと去ったが、その心の底ではハイタカへの復讐を誓っていた。
ウサギ(声:香川照之
人狩りを生業とするクモの部下。小心者だが、クモの力をかさに来て傍若無人に振る舞う。アレンを「坊っちゃん」、テルーを「お嬢ちゃん」と呼ぶ。これは声を担当した香川照之本人が希望した呼び方らしい。
国王(声:小林薫
エンラッドの賢王で、アレンの父。賢王の名にふさわしく、国民のことを常に考えており、国土の各地から報告される異常事態に憂慮していた。ある夜、突如アレンに刺殺され、身に帯びていた魔法の剣を奪われる。
王妃(声:夏川結衣
アレンの母。国を継ぐものとして、アレンを厳しくしつける。いつも猫を抱いている。
女主人(声:倍賞美津子
都城ホート・タウンに住む元まじない師。現在は魔法を信じられなくなり、模造品の生地を売っている。
ハジア売り(声:内藤剛志
常習すると死に至る麻薬・ハジアを扱っている男。生気のないアレンに近づきハジアを売りさばこうとした。
ルート(声:飯沼彗)
エンラッド国王の側近の老魔法使い。世界の均衡が崩れつつある事に憂慮している。
2人組のオバさん(声:梅沢昌代・神野三鈴)
テナーの家の近くに住む村人。テナーの作る薬を買っているが、内心ではテナーやテルーの事を薄気味悪がっている。なお、この2人組の動きは、ハウルの動く城で王宮の大階段のシーンを手がけたアニメーター、大塚伸治によるものである。
船に乗っていた風の司(声:加瀬康之
国王の家臣(声:阪脩
王宮の侍女(声:八十川真由野
ウサギの部下(声:西凛太朗
船員(声:白鳥哲
役不明(声:池田勝鵜澤秀行宝亀克寿田村勝彦斎藤志郎廣田高志清水明彦佐藤淳中村悠一杉山大加藤英美里木川絵理子藤堂陽子・関輝雄・高橋耕次郎・田中明生・高橋克明・櫻井章喜・鍛治直人・西岡野人・上川路啓志・植田真介・田中宏樹・佐川和正・細貝弘二・清水圭吾・瀧田陶子・築野絵美・高野智実・愛佳・佐藤麻衣子・渡辺智美

原作との相違点

本作品はアーシュラ・K・ル=グウィンによって書かれた「ゲド戦記」が原作であり、世界観や設定、登場人物名や用語などは、少なからず原作と共通している。その一方、原案『シュナの旅』の影響が強いため、原作とは異なる点が多い。本作品と原作ゲド戦記の主要な相違点は以下のとおりである。
影の意味
原作3巻にアレンの影は出てこない。鈴木敏夫がゲド戦記のテーマに触れる入り口として導入を提案した。原作1巻の影の物語をハイタカからアレンに移植し、影の役割も変わっている。
制作者によると本作では影の意味は原作とは対照的に設定されているようである。原作では若きハイタカ(ゲド)の影が「心の闇(憎しみや傲慢)」として描かれているが、映画ではアレンの影が「心の光の存在」であるとして描かれている。
原作における影は、光を受けた時に認識する事ができる、様々な受入れがたい心の傷(良心の呵責等)や、結果的に自分を害する事に繋がる弱い心(憎しみや傲慢等)である。原作では影は、様々なゲドの経験から蓄積された無自覚な否定したい心の部分が召喚魔法により具現化し実体を脅かす存在となり、実体であるゲドにつきまといゲドは次第に追いつめられて行く。しかし、少年ゲドが影から逃げるのをやめて正面から向き合ったとき、彼は影が自分の一部であることを悟り受け入れ全き人となる。「影は自己認識へ、大人へ、光への旅の案内人なのです」(「夜の言葉」より)。
宮崎吾朗監督のインタビューによると、映画では悪役クモの仕業によって主人公の「心の光の部分」が切り離されて、光が肉体を追う影となってしまい、影(実は光)は心の闇に支配されたアレンの実体と一つに戻ろうとして追いかけていたと説明されている。つまり、アレンの影こそが実は「心の光の存在」だった。テルーから「レバンネン、そうして命はずっと続いていくんだよ。」という言葉を聞かされ、闇に支配されていたアレンの心に「光」が戻る。
原作者は映画に対するコメントの中でアレンが分割した理由が不明確であることについて批判をしている。
アレンとゲドの関係
映画ではアレンが心の闇に支配されて国王(父)を殺害し国を出奔、そしてハイタカに出会って旅に同行するという展開になっているが、原作ではアレンは、エンラッドや諸国の異常を知らせるよう父に命じられて、ロークの大賢人たるゲドに会いに行き、そして2人で旅に出る流れになっている。
アレンの父殺し
アレンが国王である父親を殺すという設定は原作にはなく、映画オリジナルである。テルーが親から虐待されたという原作に準拠した設定ともあいまって、田を耕さずハジアを売ったり、人を売り買いする人が儲けたり等の均衡の崩れた世界を象徴している。世界の均衡を崩し、人の頭を変にする災いの力はアレンの身にも及んでいた。
劇中、アレンが父を刺したのと同じ構図で、アレンがハイタカに斬りかかるシーンもある。2度目のハイタカに斬りかかる方は、劇中はっきりとクモに操られていることが示される。
アレンの父殺しという設定のできた経緯は、書籍「ロマンアルバム ゲド戦記」のインタビューに詳しく記述されている。発案者は鈴木プロデューサーで、主人公の旅立ちの理由を模索していた吾朗監督は、「この子は父を殺しちゃうんだよ」という鈴木の一言に初め驚いたそうだが、アレンのキャラクターに合うと思い取り入れた。脚本家の丹羽圭子のインタビューでは、当初アレンはおかしくなった父親に殺されそうになり国を飛び出す、というシノプシスがあったが、鈴木が「今の時代を考えると、息子が父を刺すほうがリアルだ」と発案し、吾朗監督が取り入れたと言う。
アレンの父殺しの理由は劇中はっきりとは説明されず曖昧だが、吾朗監督はインタビューで、「アレンは父を憎んでいたわけではなく、たぶん尊敬しており好きでもあったが、自分が陥っていた閉塞感やがんじがらめな気分を抑えきれなくなり暴走し、彼を取り巻く世界、社会の『象徴』である父親に抑えきれなくなった感情の矛先が向かった」という講釈をしている。
よく父である宮崎駿と吾朗監督の関係になぞらえられた推察がされるが、吾朗監督自身は「父さえいなければ、生きられると思った。」というキャッチコピーに対しても、自分のことではない、と否定している。
テルーの描写
映画ではテルーは火傷の跡こそ描かれているものの、基本的にジブリ作品におけるヒロインのデザインを踏襲したものとなっている。『シュナの旅』のヒロイン、テアにも似ている。ジブリの定石である少年と少女の物語にするため、原作では5 - 6歳(4巻)なのをアレンと見た目が同年代の少女に変更。火傷の位置は原作では右半身だが、映画では左の目から頬にかけて痣状にある。
原作では「顔の半分がケロイド化して目がつぶれている」とか「手が溶けて鉤爪のようになっている」など醜悪さを表現する描写が少なくない。また原作では炎によって喉も潰れており、「テルーの唄」のような歌を歌う事も出来ないとされる。
物語の世界
映画ではホート・タウンとその周辺で物語が進められるが、原作においてはゲドとアレンは辺境の島々から死後の世界まで、アースシーの世界を縦横に横断している。
原作では肌の黒い人間がマジョリティ、白い人間はカルガド圏出身のマイノリティである。しかし、映画ではハイタカの肌がやや黒い以外は誰の肌も褐色とはおよそ言えない。原作者は物語で肌の色が濃いのは邪悪さと結びつけられる因習に批判的なため、この肌の表現にこだわりを持ち、表紙の人物のデザインについて出版社と争うこともあり、ドラマ版製作者と対立したこともある。
物語の解決
原作では、誰か悪者を暴力で倒す事によって物語の解決を図ろうとはしていない。それに対して映画では、世界の均衡が崩れつつあるのも、竜が食い合うのも悪役クモが生死両方を分かつ扉を開けた影響とされ、その悪役クモを倒す事によって、共食いをしていた竜がラストシーンで仲睦まじく天空高く飛ぶようになる姿を描き、物語は解決を見せ、終わっている。アレンはすべてのいきさつを知る大賢人ゲドと共に国へ帰る。
本作品の映画の公式パンフレットに『ハイタカはクモという魔法使いが生死両方を分かつ扉を開け、それによって世界の均衡が崩れつつあることを探り出す』と記載されているとおり、世界の均衡を崩し、人々の頭をおかしくしているのは、クモである。しかし、劇中ではクモは敗れたのみで、世界の崩れた均衡の全てが解決したかどうかは明確ではない。また、クモの台詞の中に「均衡はすでに我ら人間の手によって破壊されつつある」とあるため、クモだけが災いの原因とは言えない可能性が大きい。
劇中、世界の均衡を唯一崩せる存在は「人間」であると暗に示されており、世界の均衡を崩しているのは、本来は自分たちの物ではない物まで欲する人間の強欲な働きである。クモが不死を欲した事は均衡を崩す強欲な人間の働きの代表であるといえよう。ハイタカも過去の教訓から、均衡を崩さぬよう魔法の使用を控えている。

原案『シュナの旅』との関係

本作品は、プロットや部分的な絵作りにおいて、原案としてクレジットされている宮崎駿作の『シュナの旅』からの翻案が多い。その主要なものは以下のとおりである。
プロット
ストーリーの前半で、主人公の少年は悪者に捕まったヒロインの少女を助ける。そしてストーリーのラストでは、心の闇に沈んでしまった主人公の少年が、ヒロインの少女によって心の光を取り戻す。これは本作品と『シュナの旅』に共通するプロット。
人狩り
人狩りに捕まって首輪を付けられているシーン。また、人買いの車から助けられた際に、同時に枷(かせ)をはずされた同乗の犠牲者達が、再び捕まるという恐怖のために動けないでいるシーンは『シュナの旅』とほぼ同一である。
旅の風景
物語の前半で出てくる「砂漠の上に打ち捨てられた巨大船」の風景、また「人々が捨てて去った村の家を覗き込むシーン」は『シュナの旅』と構図が全く同一である。
ヤックル
アレンの馬はシュナの愛畜ヤックルに酷似している。吾朗監督も「あれはヤックルみたいなものです」「もののけ姫ではなくシュナの旅を参考にした」とインタビューに答えている。ただし2本の角は製作過程で取ってしまった、と言っている。

スタッフ

  • 原作:アーシュラ・K・ル=グウィン (『ゲド戦記』)
  • 原案:宮崎駿 (『シュナの旅』)
  • 監督:宮崎吾朗
  • 脚本:宮崎吾朗、丹羽圭子
  • 作画演出:山下明彦
  • 作画監督:稲村武志
  • 美術監督:武重洋二
  • 音楽:寺嶋民哉
  • 色彩設計:保田道世
  • デジタル作画監督:片塰満則
  • 映像演出:奥井敦
  • 録音演出:若林和弘
  • 整音:高木創
  • 効果:笠松広司
  • 整音監修:井上秀司
  • 編集:瀬山武司
  • プロデューサー:鈴木敏夫
  • 協賛:アサヒ飲料
  • 制作:スタジオジブリ
  • 配給:東宝
  • 主題歌
    • 劇中挿入歌-『テルーの唄』(歌:手嶌葵、作詞:宮崎吾朗、作曲:谷山浩子、編曲:寺嶋民哉
    • :プロデューサーである鈴木敏夫に参考資料として手渡された、萩原朔太郎の詩「こころ」に着想を得た宮崎吾朗監督が作詞。
    • 主題歌 - 『時の歌』(歌:手嶌葵、作詞:宮崎吾朗・新居昭乃、作曲:新居昭乃・保刈久明(アルバム「ゲド戦記歌集」収録)

公開までの流れ

監督就任の経緯

監督の宮崎吾朗の父親である宮崎駿は「ゲド戦記」の古くからのファンであり、彼の作品は「ゲド戦記」から大きな影響を受けてきた。「風の谷のナウシカ」(1984年)を映画化する以前、彼は原作の出版元岩波書店に映画化のオファーを取っていたが、原作者側からは断られていた。当時、原作者ル=グィンはアニメとはディズニーのようなものだと見なしていた。1990年代にも再オファーした事があったが、この時も許可は下りなかった。
2003年頃、「ゲド戦記」の訳者清水真砂子を通して、「となりのトトロ」などの宮崎作品を気に入ったル=グィンからジブリへ正式にアニメ映画化許可のオファーが来た。「監督は宮崎駿に」との要望だったが、宮崎駿は「ハウルの動く城」を製作中だったこと、および「これまでの自分の作品で既に『ゲド戦記』の要素を取り入れて作ってきたから、今更できない」として、監督を断った。
しかし、ジブリで映画化したかったプロデューサーの鈴木敏夫は、他のアニメスタッフではなく、当時ジブリ美術館の館長だった息子の宮崎吾朗を監督に起用することを画策した。発表当時のインタビューでは、「前提としてジブリの今後を考え、当の鈴木を含め駿や高畑勲が高齢であるため」と述べ。 、後継を慮り起用したという理由、またジブリ美術館の制作時の手腕を見ての起用だったとされる
宮崎駿は、映画監督経験がない吾朗が監督に就く事に「あいつに監督ができるわけがないだろう。絵だって描けるはずがないし、もっと言えば、何も分かっていないやつなんだ」と言って猛反対した。このことは、2006年6月5日にタワーレコード渋谷で開催されたゲド戦記CD発売記念記者会でも鈴木が語っている。ここで鈴木は吾朗にイメージ画を描かせ、吾朗は「竜とアレンが向き合う絵」を描きあげた。これを見た駿は唸り黙ってしまったという。そして宮崎駿は吾郎に何度も「お前、本当にやれるのか?」と3日に渡って何度も問いただし、それでも吾朗は監督をやるといい続けた。そしてその後は、息子と全く口を利かなくなってしまったという。
2005年6月に鈴木と吾朗は原作者との打ち合わせのため渡米の予定をしていたところ、駿は「監督がスタジオを離れるな!」と一喝した。「じゃあ宮さん(宮崎)が来てくださいよ」と鈴木に促され、仕方なく駿と鈴木が渡米する事となった。原作者と面会の場で駿はスクリプトについては責任を持つということでル=グィンの了承を得た。しかし実際は脚本・演出に駿はノータッチで制作は行われた。なおこの際に上記『竜とアレンが向き合う絵』をル=グィンに見せたが、駿は「これは間違っていますよね」と吾朗の解釈について批判した。そして、自分が昔書いた「ゲド戦記」などのスケッチを見せて自分が原作のファンだったことをアピールした。

海外での反響

第63回ヴェネチア国際映画祭で特別招待作品として上映。映画祭での上映に対する現地の評判は最低ランクで、スタジオジブリの評価を著しく下げた。「ウニタ」紙のダリオ・ゾンダは「平板なスタイル、創造性に欠けた絵で、それはリアリズムの上に成り立つファンタジーに供する想像を生み出すことを放棄している」、キャッスルロック.itは「アニメーションはスムーズで、緻密なキャラクターデザインではあるけれども、吾朗の映画は父親の映画における創造性と物語性芸術の高みには達していない」と評した。
原作者のル=グウィンは試写会後、吾朗に感想を問われ「私の本ではない。吾朗の映画だ。」と述べた。その後、この発言を吾朗が無断でブログに紹介したことや、日本人ファンからのメールを受け、映画に対する感想を公式に発表した。ル=グウィンはこのコメントの中で、「絵は美しいが、急ごしらえで、『となりのトトロ』のような繊細さや『千と千尋の神隠し』のような力強い豊かなディテールがない」「物語のつじつまが合わない」「登場人物の行動が伴わないため、生と死、世界の均衡といった原作のメッセージが説教くさく感じる」などと記した。また、原作にはない、王子が父を殺すエピソードについても、「動機がなく、きまぐれ。人間の影の部分は魔法の剣で振り払えるようなものではない」と強い違和感を表明している。

国内での反響

多くの映画評論家は、この作品に厳しい評価をした。2006年度の最低映画との評価を、それぞれ独立した映画評論雑誌5誌から受けている。宮崎駿は映画を試写で見た後、「気持ちで映画を作っちゃいけない」「(吾朗は)大人になってない」と述べた。
週刊朝日」、「文藝春秋」、「週刊新潮」、「Premiere」、「ぴあ」、「スクリーン」、「キネマ旬報」等、国内の雑誌でも酷評されている。
2008年7月11日に日本テレビ金曜ロードショーで地上波初放送された。近年のジブリ作品の地上波初放送の視聴率は20~30%台がほとんどだが、本作品は16.4%(関東地区ビデオリサーチ)と低調だった。これは、翌週に放映された「となりのトトロ」よりも低かった。
宮崎駿の弟子筋であり、宮崎駿に否定的な押井守は、「初監督でこれだけのものが普通の人に作れるだろうか?合格点を与えていいだろう。次は本当の父殺しの映画を作るべきだ。」と評価した。
但し後述のように、この作品は「日本沈没」や「THE 有頂天ホテル」等を抑えこの年の邦画興行収入1位を記録しており、スタジオジブリのブランド性を肯定しかねた「ホーホケキョ となりの山田くん」(興行収入7.9億円)と比較するとジブリ作品として大きな話題性を呼び、一定の成果も得られたといえる。

興行と受賞

公開2日間で観客動員約67万人、興行収入約9億円を記録した。配給の東宝は初動の結果を受け、興行収入100億円超を目標に掲げたが、9月に入ると約85億円に下方修正した。最終的にはそれをさらに下回る約76.5億円だったが、2006年邦画興行収入1位となった。
  • 第30回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞
  • 第3回文春きいちご賞(日本版ゴールデンラズベリー賞と言われるその年の最低映画に贈られる賞)※第1回ではハウルの動く城(宮崎駿監督)が4位にランクインしていた。
  • 映画芸術 2006年ワーストテン 第1位

挿入歌に対する批判と謝罪

諸君!」2006年11月号誌上において荒川洋治は、「作詞者宮崎吾朗氏への疑問」と題して劇中挿入歌である『テルーの唄』に対し、「萩原朔太郎の『こころ』に、ある範囲を超えて似すぎている」「参考資料として『こころ』を詞のもとにしたならば、原詩・萩原朔太郎、編詞・宮崎吾朗とでも表記するべきで、作詞・宮崎吾朗とすることにためらいはなかったのか」との批判を行った。
2006年10月21日、毎日新聞はこの件につき報道した。記事の中で三田誠広は、「盗作ではないがモラルの問題として謝辞を入れるべき」「シングルCD購入者はそうであるとは分からず、先行する芸術に尊敬が欠けている」旨述べた。
2006年10月24日、鈴木敏夫は「ゲド戦記」プロデューサーとしてこの件につき声明し、「表記について思慮不足だった」との旨を述べ謝罪した。
2007年7月4日、DVD及びVHSにて発売された本作品のスタッフロールに、「『テルーの唄』の歌詞は、萩原朔太郎の詩『こころ』に着想を得て作詞されました。」との表記が追加された。
原詩との関連についてオリジナルサウンドトラック、劇場用パンフレット、公式サイト、TV番組『ゲド戦記音図鑑~テルーの唄はこうして生まれた』等、映画に関係が深い媒体では『こころ』に着想を得て作詞された旨が解説されていたが、歌そのものの媒体であるシングルCDには解説がなく、劇場公開当時のスタッフロールにも表記が無かった。
本問題については「本歌取りオマージュであり、表記については問題がない」という見方がある。法律としては現在、『こころ』の著作権著作権の保護期間を満了し消滅している。

キャッチコピー

  • 「見えぬものこそ。」(糸井重里
  • 「父さえいなければ、生きられると思った。」
  • 「かつて人と竜はひとつだった。」

コマーシャル

本作品は、三ツ矢サイダーのコマーシャルにも起用されている。挿入歌の「テルーの唄」をバックに、テルーの声優の手嶌葵がアフレコをしている場面で、劇中のセリフを吹き込むというもの。

脚注

関連項目

  • クロード・ロラン - 背景絵を彼の作風をモデルに描いた。
  • : 「ゲド戦記にはクロード・ロランの世界観が似合う」と宮崎駿がスタッフとの歓談のなか漏らした意見を、スタッフが採用した。

関連書籍

  • ニュータイプ編『アースシーの風に乗って~映画「ゲド戦記」完全ガイド』角川書店(2006年)
  • フィルムコミック1~4巻

外部リンク

とせんき
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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